いつも音楽といっしょ

音楽といっしょに成長した自分を振り返ります。

■いつも音楽といっしょ(いっそセレナーデ3)■

◆リバーサイドホテル(m021)◆

井上陽水の「主なアルバム(シングル)と代表曲」

【7枚目:スニーカーダンサーズ(1979年9月7日リリース)】
・なぜか上海
・娘がねじれる時

【シングル:リバーサイドホテル(1982年7月5日リリース)】

【シングル:いっそセレナーデ(1984年10月24日リリース)】



♪「リバーサイドホテル」を初めて聞いた時

皆さんは「リバーサイドホテル」を初めて聞いた時、どう思いましたか?「ありがちな事を歌った歌」「堕落的な感じ」「よくぞ、歌ってくれた(?)」。歌詞の内容は「若い二人の延長ラブホ」ですが、陽水が創り・歌うと「何か別の色合い」がつき「芸術的な香り」さえ感じるのは、私だけでしょうか?



♪現代の若者の恋愛の一形態と「これでいいのかな~?」

私は、考え方が旧いのかもしれませんが。陽水は「リバーサイドホテル」を、現代の若者の恋愛(?)の一形態と歌うと、共に「これでいいのかな~?」とも歌ったている様にも思えます。しかし、初体験年齢が、小学校高学年まで下がった日本では「ありがちな事」なのが現実です。



♪「♪愛されてばかりいると星になるよ ゆきすきてなかりいると空にゆくよ」

また、陽水は「愛されてばかりいると」という歌では「♪愛されてばかりいると星になるよ ゆきすきてばかりいると空にゆくよ」とも、歌っています。陽水とはアルバム「断絶」(1972年)からのお付合いですが、私は、陽水はとてもいい人で「日本の将来まで心配する人」だと思っています。陽水の娘さんは「父はとても心配性」だと、言っていました。

BestBallade

◎「リバーサイドホテル」が入っているアルバム「Best Ballade」です。


山原の森(やんばるの森)

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。



■いつも音楽といっしょ(いっそセレナーデ2)■

◆青空、ひとりきり(m020)◆

井上陽水の「主なアルバム(シングル)と代表曲」

【5枚目:招待状のないショー(1976年3月5日リリース)】
・青空、ひとりきり

【6枚目:"white"(1978年5月6日リリース)】
大麻所持容疑で逮捕され、執行猶予の判決を受けました(1977年)

【7枚目:スニーカーダンサーズ(1979年9月7日リリース)】
・なぜか上海
・娘がねじれる時

【シングル:リバーサイドホテル(1982年7月5日リリース)】

【シングル:いっそセレナーデ(1984年10月24日リリース)】

♪「青空、ひとりきり」は、欲望丸出しの矛盾の塊のような歌
「楽しい事なら何でもやりたい、笑える場所ならどこへでも行く~」と歌う一方で「悲しい人とは会いたくもない、涙の言葉で濡れたくはない」と歌い、サビを「青空、ひとりきり」で締める歌。欲望丸出しの矛盾の塊のような歌「青空、ひとりきり」です。



♪「青空、ひとりきり」は、自己中の歌?
大学受験勉強中だった私には「ずいぶん、自己中心的な歌だな~」と、思ったものでした。この歌は、陽水自身の思いなのか、あの頃の若者の思いを代弁している歌なのか?もし、陽水自身にを聞けたとしても「聞く人の判断に任せます」と、答えると思いますが。

♪「青空、ひとりきり」は、陽水、新時代の出発点か?
・いろいろな面で開放的になってゆく日本は、良い面ばかりではありませんでした。その良い面も、そうでない面も歌にして、あの素晴らしい声で見事に歌い続けていったのが「陽水の凄さではないか」と、私は考えています。

・今振り返ると、開放的になってゆく日本の雄叫びが「青空、ひとりきり」だったのか?と考えています。

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◎「青空、ひとりきり」が入っているアルバム「招待状のないショー」です。


テンポはアンダンテ(歩くような早さで)

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(いっそセレナーデ1)■

◆陽水の音楽(m019)◆

♪陽水出演のウイスキーのCM、BGMは「いっそセレナーデ」
・陽水出演のウイスキーのCM、BGMは「いっそセレナーデ」でした。そして「心の襞(ひだ)をそっと触れて行くような陽水の声」の「いっそセレナーデ」は、静かにブレイクしてゆきました。

・私は「いっそセレナーデ」を初めて聞いた時「陽水が迷いを脱して、新しい音楽の境地で作り上げた」と、直感的に感じました。また「いっそセレナーデ」を、今までのニューミュージック、J-POPSにはない「新しい感覚の音楽」とも認識しました。



井上陽水の「主なアルバム(シングル)と代表曲」

【3枚目:氷の世界(1973年12月1日リリース)】
・あかずの踏み切り
・帰れない二人
・心もよう

【4枚目:二色の独楽(1974年10月1日リリース)】
・御免
・ゼンマイじかけのカブトムシ

【5枚目:招待状のないショー(1976年3月5日リリース)】
・青空、ひとりきり

【6枚目:"white"(1978年5月6日リリース)】
大麻所持容疑で逮捕され、執行猶予の判決を受けました(1977年)

【7枚目:スニーカーダンサーズ(1979年9月7日リリース)】
・なぜか上海
・娘がねじれる時

【シングル:リバーサイドホテル(1982年7月5日リリース)】

【シングル:いっそセレナーデ(1984年10月24日リリース)】

♪「氷の世界」は、井上陽水初期の大ヒットアルバム
井上陽水初期の大ヒットアルバム「氷の世界」(1973年)は、陽水を日本フォーク界の巨人にしたアルバムです。その素晴らしさは、今聞いても「初めて聞いた時の感動」が蘇る程です。

・そして、期待の次作「二色の独楽」(1974年)を聞いた時、私は「陽水はもうダメだ」と、思いました(当時)。このアルバムに「氷の世界」的なものを求めたファンは、私と同じように、ガッカリしたと思います。

 

♪しかし「二色の独楽」から「創作の視点・重心が、個人から、社会へ変わっていった」
・しかし、陽水の音楽は「氷の世界」(1973年)~「いっそセレナーデ」(1984年)の11年間で、大きく変化してゆきます。そして、今は「二色の独楽」から「陽水の創作の視点・重心が、個人から、社会へ変わっていった」と考えています。

・いろいろな面で開放的になってゆく日本は、良い面ばかりではありませんでした。その良い面も、そうでない面も歌にして、あの素晴らしい声で見事に歌い続けていったのが「陽水の凄さではないか」とも、私は考えています。

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井上陽水初期の大ヒットアルバム「氷の世界」です。


きじむなあの歌(オルゴール版)

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(ポプコン4)■

ポプコン4(m018)

♪主な受賞曲です


01.サルビアの花/もとまろ    (1971年、第3回入賞)
02.あなた/小坂明子      (1973年、第6回GP大会GP)
03.時代/中島みゆき      (1975年、第10回GP)
04.わかってください/因幡晃  (1975年、第10回優秀曲)
05.あんたのバラード/世良公則&ツイスト (1977年、第14回GP)
06.夢想花/円広司       (1978年、第16回GP)
07.ひとり咲き/Chage&Aska   (1979年、第17回入賞)
08.大都会/クリスタルキング  (1979年、第18回GP)
09.愛はかげろう雅夢     (1980年、第19回優秀曲賞)
10.待つわ/あみん       (1982年、第23回GP)



♪わかってください/因幡晃

「わかってください」を聞くと、大学のフォーク同好会のS先輩の素晴らしい歌唱を思い出します。コンサートに来た女心をガッチリ掴む、素敵なテノールの声は、この曲にピッタリでした。因幡晃の魅惑の声とロマンあふれる世界は、今もファンに愛され続けています。



♪待つわ/あみん

「あみん」という不思議なグループ名は、さだまさしの「パンプキン・パイとシナモンンティー」に出て来る喫茶店「安眠(あみん)」から、拝借したそうです。さだまさしのこの曲は、大ヒットというわけではありませんが、ファンには大人気の曲で、YouTubeでも見れます(原曲にはないハモリや、面白楽器が出てきます)。



♪「私待つわ、あなたがふられる日まで」の女心

「私待つわ、あなたがふられる日まで」は、女心に疎い私にとっては、衝撃的な歌詞でした。・「待つ女」「女心」「女の執念」。ここまで書くと、男とはちょっと違うという感覚です。・「待つ男」「男心」「男の執念」。ここまで書くと「やはり、何か違うな~」という感覚です。



岡村孝子の「はぐれそうな天使」「夢をあきらめないで」

「あみん」の活動休止後、岡村孝子は「はぐれそうな天使」「夢をあきらめないで」などのヒットを飛ばします。2005年には、憧れのさだまさしと共演、それをきっかけにコラボ・シングル「銀色の少女」を発表。プロ野球選手との結婚・離婚を経て、今も音楽活動を続けています。

 

amin

◎名古屋美人のグループ「あみん」です。


Love crash in W

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(ポプコン3)■

ポプコン3(m017)

♪主な受賞曲です


01.サルビアの花/もとまろ    (1971年、第3回入賞)
02.あなた/小坂明子      (1973年、第6回GP大会GP)
03.時代/中島みゆき      (1975年、第10回GP)
04.わかってください/因幡晃  (1975年、第10回優秀曲)
05.あんたのバラード/世良公則&ツイスト (1977年、第14回GP)
06.夢想花/円広司       (1978年、第16回GP)
07.ひとり咲き/Chage&Aska   (1979年、第17回入賞)
08.大都会/クリスタルキング  (1979年、第18回GP)
09.愛はかげろう雅夢     (1980年、第19回優秀曲賞)
10.待つわ/あみん       (1982年、第23回GP)



サルビアの花/もとまろ

サルビアの花」は、シャイながらとてもいい曲ですね。歌詞の「転びながら、転びながら」を切って歌う所は、ダスティン・ホフマン主演「卒業」の教会シーンを思い起こさせる、涙もの歌声でした。



♪あなた/小坂明子

中学の時の友人が、興奮しながら「すげえ、女の子が出たんで、思わずレコードを買っしまった。」と、大声で話しています。「すげえ女の子」とは「若干16歳で、ポプコングランプリに輝いた小阪明子、曲はあなた」でした。今聞くと「少女趣味」と思ってしまいますが、当時のプロ作詞家・作曲家作った歌謡曲と演歌が主流だった時代に、ピアノ弾き語りの「あなた」は、思春期の我らには、キラキラと眩しい新曲でした



♪若干16歳とは思えないコード付け

「指揮者・編曲家」を父(小坂務氏)に持つ小阪明子は、ジャズを聞くような女の子でした。「あなた」の「♪もしも私が」後、「♪小さな家を」の「シ♭」が、この曲の特徴の一つですが。「Em7♭5→A7→Dm7→Dmmaj7→Dm7」という「ツー・ファイブ」のコードを付けています。若干16歳とは思えないコード付けです。(コードは、ハ長調に直してあります)



♪編曲したのは「宇宙戦艦ヤマト」作曲家・宮川泰

世界歌謡祭とレコード用に「あなた」を編曲したのは「宇宙戦艦ヤマト」の作曲家・宮川泰氏です。世界歌謡祭用の編曲に対して「これは私の作曲のイメージとは違います。もっとスタンダードジャズのように、おごそかで静かなイメージのアレンジを変えて下さい」と言って、変更を求めたそうです。若干16歳「自分の音楽に相当な自信がなければ、言える言葉ではない」と、私は感心してしまいました。



岩崎宏美は「スター誕生!」のテレビ予選と決戦大会で「あなた」を熱唱

ちなみに、岩崎宏美は、オーディション番組『スター誕生!』のテレビ予選と決戦大会で「あなた」を熱唱して、優勝しているそうです。YouTubeで探してみると「ありました、2種類」。TV番組とコンサートでの歌唱です。「岩崎宏美の歌唱力で一味違うあなた」で、また新たなる感動をしてしまいました。

kosaka

◎16歳、小阪明子のデビューシングル「あなた」です。ピアノ弾き語りがカッコいいですネ。


ウタキヌ カミヤ(御嶽ヌ 神ヤ)

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(ポプコン2)■

ポプコン2(m016)

♪グランプリ(入賞)を逃した有名アーティスト


01.群衆の中で/オフコース  
02.紙飛行機/井上陽水     
03.あせ/N.S.P      
04.完全無欠のロックンローラー/アラジン
05.ふられ気分でRock'n ROLL/TOM☆CAT


♪どうして、グランプリ(入賞)を逃したのか?

現在では、BIGな皆さんですが「挑戦曲が、いまいちインパクトに欠けたのかもしれない」と曲目を見て思ってしまいます。ついこの間、YouTubeで「ふられ気分でRock'n ROLL」を歌う、定番サングラスのTOM☆CATさんを見て「この雄猫(tom cat)は、まだ現役なんだ」と思いました。



♪プロを対象にしたコンテストからアマチュアのプロへの登龍門に

ポプコンは、ヤマハ主催で32回(1969年~1986年)開催されましたが、

・第4回までは「作品コンクール」という名称で、第5回大会から「ポプコン」という名称に変わりました。

・第5回まではプロを対象にしたコンテストで、アマチュア向けのプロへの登龍門として開催されるようになったのは第6回からです。



♪会社の同僚は「家族でポプコンに参加」スゴイ!

会社の同僚は「家族でポプコンに参加して、地区大会を通過し、県大会まで行った」と、自慢しておりました。「家族でポプコン」=全員が音楽好きで、仲が良い家族でないと、なかなか参加できないパターンかと思います。(スゴイ!)



♪その同僚は、マレッジ・バンド(結婚式の余興バンド)の重要なハモリ役

彼は、その実力を買われて、我が社のマレッジ・バンド(結婚式の余興バンド)では、重要なハモリ役がハマリ役です。(受けたかな?)



♪私は、ポプコンの申し込み用紙を、家に持って帰っただけ

ちなみに、私は、楽器屋にあったポプコンの申し込み用紙を、家に持って帰っただけでした。よく覚えていませんが、応募要領を読んだだけで、めげたのかもしれません。


■次回は、受賞曲をピックアップして書きます。

nanika

◎「因幡晃」お兄様のデビューアルバム「何か言い忘れたようで」です。ロマンあふれる「因幡」ワールドが満喫できます。


泣くなよーきじむなあ

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(ポプコン1)■

ポプコン1(m015)

 

♪「ポプコン」と「ポップコーン」

今の若い人に「ポプコンって知ってる」聞いたら「えっ!ポップコーンですか?」と逆に聞かれそうですが。「ポプコンの影響力と輩出したアーティスト」を知っている私達にとっては、忘れられない大イベントでした。


ポプコンは、フォーク・ポップス・ロックの音楽コンテスト
ポプコンヤマハポピュラーソングコンテスト)は、ヤマハ主催で32回(1969年~1986年)開催されたフォーク・ポップス・ロックの音楽コンテストの事です。グランプリ優勝者には「世界歌謡祭出場」「レコードデビュー」というギラギラに輝くプレゼントが授与されました。


♪「中島みゆき」「因幡晃」「世良公則」「Chage&Aska「あみん」と…
なんと、我らが「中島みゆき」お姉様、「因幡晃」お兄様も、ポプコンの出身なのです。インターネットで調べて見たら『アラ、びっくり!』ポプコン出身のアーティストの多彩さと、ポプコンが日本の音楽界に与えたインパクトの大きさに、今更ながら驚いた次第です。



♪主な受賞曲です


01.サルビアの花/もとまろ    (1971年、第3回入賞)
02.あなた/小坂明子      (1973年、第6回GP大会GP)
03.時代/中島みゆき      (1975年、第10回GP)
04.わかってください/因幡晃  (1975年、第10回優秀曲)
05.あんたのバラード/世良公則&ツイスト (1977年、第14回GP)
06.夢想花/円広司       (1978年、第16回GP)
07.ひとり咲き/Chage&Aska    (1979年、第17回入賞)
08.大都会/クリスタルキング  (1979年、第18回GP)
09.愛はかげろう雅夢      (1980年、第19回優秀曲賞)
10.待つわ/あみん        (1982年、第23回GP)

■次回は、グランプリを逃した有名アーティストの事を書きます。

watashi

◎みゆきお姉さんのデビューアルバム「私の声が聞こえますか」です。あの頃は、こんな感じのフォーク娘がたくさんいました。


海風・灯台・蒼い空【カラオケ版】

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。