いつも音楽といっしょ

音楽といっしょの成長した自分を振り返ります。

■いつも音楽といっしょ(ポプコン2)■

ポプコン2(m016)

♪今回は、グランプリ(入賞)を逃した有名アーティストの事を書きます。
01.群衆の中で/オフコース  
02.紙飛行機/井上陽水     
03.あせ/N.S.P      
04.完全無欠のロックンローラー/アラジン
05.ふられ気分でRock'n ROLL/TOM☆CAT

♪現在では、BIGな皆さんですが「挑戦曲が、いまいちインパクトに欠けたのかもしれない」と曲目を見て思ってしまいます。ついこの間、YouTubeで「ふられ気分でRock'n ROLL」を歌う定番サングラスのTOM☆CATさんを見て「この雄猫(tom cat)は、まだ生きていたんだ」と思いました。

ポプコンは、ヤマハ主催で32回(1969年~1986年)開催されましたが、

・第4回までは「作品コンクール」という名称で、第5回大会から「ポプコン」という名称に変わりました。

・第5回まではプロを対象にしたコンテストで、アマチュア向けのプロへの登龍門として開催されるようになったのは第6回からです。

♪会社の同僚は「家族でポプコンに参加して、地区大会を通過し、県大会まで行った」と、自慢しておりました。「家族でポプコン」=全員が音楽好きで、仲が良い家族でないと、なかなか参加できないパターンかと思います。(スゴイ!)

♪彼は、その実力を買われて、我が社のマレッジ・バンド(結婚式の余興バンド)では、重要なハモリ役がハマリ役です。(受けたかな?)

♪ちなみに、私は、楽器屋にあったポプコンの申し込み用紙を、家に持って帰っただけでした。よく覚えていませんが、応募要領を読んだだけで、めげたのかもしれません。


♪次回は、受賞曲をピックアップして書きます。

nanika

◎「因幡晃」お兄様のデビューアルバム「何か言い忘れたようで」です。ロマンあふれる「因幡」ワールドが満喫できます。


泣くなよーきじむなあ

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(ポプコン1)■

ポプコン1(m015)

♪今の若い人に「ポプコンって知ってる」聞いたら「えっ!ポップコーンですか?」と逆に聞かれそうですが。「ポプコンの影響力と輩出したアーティスト」を知っている私達アーティスト(?)にとっては、忘れられない大イベントでした。

ポプコンヤマハポピュラーソングコンテスト)は、ヤマハ主催で32回(1969年~1986年)開催されたフォーク・ポップス・ロックの音楽コンテストの事です。グランプリ優勝者には「世界歌謡祭出場」「レコードデビュー」というギラギラに輝くプレゼントが授与されました。

♪なんと、我らが「中島みゆき」お姉様、「因幡晃」お兄様も、ポプコンの出身なのです。インターネットで調べて見たら『アラ、びっくり!』ポプコン出身のアーティストの多彩さと、ポプコンが日本の音楽界に与えたインパクトの大きさに、今更ながら驚いた次第です。

♪主な受賞曲は、下記の通りです。(私の趣味で選びました)
01.サルビアの花/もとまろ    (1971年、第3回入賞)
02.あなた/小坂明子      (1973年、第6回GP大会GP)
03.時代/中島みゆき      (1975年、第10回GP)
04.わかってください/因幡晃  (1975年、第10回優秀曲)
05.あんたのバラード/世良公則&ツイスト (1977年、第14回GP)
06.夢想花/円広司       (1978年、第16回GP)
07.ひとり咲き/Chage&Aska    (1979年、第17回入賞)
08.大都会/クリスタルキング  (1979年、第18回GP)
09.愛はかげろう雅夢      (1980年、第19回優秀曲賞)
10.待つわ/あみん        (1982年、第23回GP)

♪次回は、グランプリを逃した有名アーティストの事を書きます。

watashi

◎みゆきお姉さんのデビューアルバム「私の声が聞こえますか」です。あの頃は、こんな感じのフォーク娘がたくさんいました。


海風・灯台・蒼い空【カラオケ版】

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

 

■いつも音楽といっしょ(中島みゆきで目覚める朝4)■

中島みゆきで目覚める朝4(m014)

中島みゆきの歌を「忘れ去られた者の哀しみ」と、表現した分析本(?)がありました。分析本が指摘したのは「中島みゆきの立ち位置」です。いつも「捨てられる側に立ち
「忘れ去られた者の哀しみ」を主題に歌っている」という解釈です。

♪私を捨てた男にとって、私は「早く忘れてしまいたい女」。私は「忘れ去られた者の哀しみ」が心にあふれ、毎日、辛い夜を過ごしている女。多少状況は違っても、多くの人が味わう哀しみを中島みゆきは、自分の話として歌い、私達を慰めてくれます。

♪「街に流れる歌を聴いたら 気づいて、私の声に気づいて」と歌う『夜曲』は、アルバム「臨月」のラスト曲です。松任谷正隆ユーミンのダンナさん)の編曲による、ブルースハープ(ハーモニカ)の音が、夜の空気感を見事に現した名曲です。

♪大学時代、付き合っている女の子の「線引き」の意味がわかりませんでした。情報通(?)の友人から「彼女が、高校時代から憧れていた人から、アプローチがあった。しばらくそっとしておいた方が良い」言われました。「毎日でも会っていたかった」あの頃の私には、とても辛いアドバイスでした。

♪「しばらく会わない事にしよう!」と決断した時に、電気を消した部屋で『夜曲』を
何度も何度も聞きました。まるで、泣きたい気持ちを代弁してもらう様に聞きました。
私が「忘れ去られた者の哀しみ」で思い出すのは、電気を消した部屋に流れる『夜曲』です。 

YOKAN

◎寝姿のアルバムジャケット「予感」です。みゆきお姉さんを「いい女だな~」と思わせる一枚です。


船で行きなさい

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(中島みゆきで目覚める朝3)■

中島みゆきで目覚める朝3(m013) 

 

♪「ユーミン中島みゆき」。「才女二人」「ライバル二人」「両極端な二人」。みゆきお姉さんは、喜んでいたかどうかわかりませんが。一時期は、加熱して比較本まで出版されました。

♪「私は、生活臭のする音楽は作りたくない」と、ユーミンは言い切っています。確かに、ユーミンは、失恋の歌を作っても「うらみま~す~」と、泣声で歌ったりしませんでした。

♪かたや我らが、みゆきお姉さんは「捨てられた悲しさ・恨みを隠す事なく(?)歌い」、
曲によっては、聞く方が辛くなるくらい、感情移入してしまう名曲を生み出しています。

和田アキ子の「泣きたくなったらどうするか」という質問の回答。「中島みゆきのレコードを聞いて、涙枯れるまで泣く」でした。周りにいたレギュラー出演者も、一同に驚いていました。

♪人は変わって私の従姉妹「中島みゆきのアルバムは、全部持っているわ」と豪語。隣にいた小母さんが「中島みゆきね。女の執念・怨念はしつこいからね」。当時、二十代だった私は「女の執念・怨念」を、味わった事はありませんでしたが、小母さんの顔つきから、背筋に寒気が走ったのを覚えています。

LOVE_OR_NOTHING

◎色っぽいジャケットの「LOVE OR NOTHING」です。みゆきお姉さんが着ているのは、 下着ではありません。何百万円もするドレスだそうです。


ばんがむり(宮古民謡)

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。

■いつも音楽といっしょ(中島みゆきで目覚める朝2)■

中島みゆきで目覚める朝2(m012)

中島みゆきが、深夜ラジオで「今日も元気だ!男がおいしい!!」と、イメージぶっ壊しに、雄叫びしている時期がありました。その時期に本人が「1回の失恋で100曲書ける」と、豪語(?)したと聞きました。

♪「中島みゆきは、1回失恋すると約8枚のアルバムが作れる」。レコード会社の担当者が聞いたら「中島みゆき様におかれましては、どんどん失恋をしていただき、良質なアルバムを量産していただきたく、切にお願いする次第であります」(「冗談じゃないわよ!」と、みゆきお姉さんは静かに爆発すると思いますが)

♪また、インタビューでは「中島様、歌の内容は、実体験なのですか」という質問を何度も受けているそうです。お姉さんの回答は「恋愛小説をよく読むので、その中から拝借する事もある」でした。(さすが、お姉さま、煙にまくのがうまい!)

♪作詞する人は、一粒の実体験から「想像」「希望」「欲望」の枝葉を、大輪に咲かせて作詞します。前述の「1回の失恋で100曲書ける」も、実体験のみで作るのであれば、大家のみゆきお姉さんをもってしても100曲は難しいと思います。

rinngetu

◎私の大好きなアルバム「臨月」です。臨月なのに。みゆきお姉さんのお腹はペッタンコ。  想像妊娠でしょうか?


永良部子守唄(えらぶこもりうた)(沖永良部島民謡)

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■いつも音楽といっしょ(中島みゆきで目覚める朝1)■

中島みゆきで目覚める朝1(m011)

♪大学時代の寮に「中島みゆき」ファンがおり、同室の私の友人がぼやいておりました。「朝、タイマーでステレオがスイッチ・オン!「中島みゆき」流れて、目覚めが悪くてしようがないゼ!」

♪朝から一番から「うらみま~す~」で起こされては、目覚めが悪いでしょうネ(同情します)。友人は「中島みゆき」のファンではなかったので、尚更だと思います。

♪「中島みゆき」の才能は認めますし、個人的な想い出のある曲もたくさんあります。話は現代に飛びますが、「糸」は「中島みゆき」の最高傑作の一つだと思います。ミスター・チルドレンの桜井 和寿がコンサートで、微笑みを浮かべながら歌っていて、とても感動しました。

♪さて、問題の寮の部屋ですが、実は私も入り浸りでした。「悪女」のアルバム・バージョンを聞いて、大感動した部屋であり、編曲した後藤 次利(ごとう つぐとし)の才能に憧れた-想い出の男子寮3XX号室なのでありました。 

kansuigyo

◎「悪女」入ったアルバム「寒水魚」です。「寒水魚」は、熱帯魚をもじった中島みゆきお姉さんの造語だそうです。


永良部子守唄(えらぶこもりうた)(沖永良部島民謡)

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■いつも音楽といっしょ(静かなビートル「ジョージ」逝く4)■

◆静かなビートル「ジョージ」逝く4(m0010)

ビートルズの大ヒットナンバー「ヘイ・ジュード」が、発表された当時「楽曲の素晴らしさ」と「楽曲の長さ」が話題となりました。エンディングの「♪ラーラーラー‥‥ヘイ・ジュード」が、延々と続き、8分という長さです。

ビートルズのデビユー当時「楽曲は3分前後が良い」が、常識とされていました。レコード会社の事情、ラジオ番組の構成 等が理由だったと考えれますが。聞く側でも「3分前後のポップス」が、お手軽で、聞きやすかった時代だったと思います。

♪現代、特にハードロックでは、腕自慢のプレーヤーが自分の「持ち間奏タイム」を回すので、8分オーバーは当り前です。何か「ジャズのセッション」と、似ています。

♪また当時は「楽曲の作り方」も、パターン化されていました。
(イントロ-1番ー2番ーサビー間奏‥‥エンディング)
ビートルズジョージのギターテクニックの見せ場は「イントロ」「間奏」「エンディング」でした。「間奏」では、ステージの前に出て、ギターテクニックを披露しました。

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♪もし、エリック・クラプトン、ルッチー・ブラック・モアが、ビートルズのメンバーだったら「ビートルズの音楽はどうなっていたか?」「あそこまで大成功していたか?」。「腕自慢の間奏タイム」が入ったら、ビートルズの曲はコトゴトク「8分オーバー」続出です。二人とも超一流プレーヤーですが、残念ながらビートルズの音楽には合いそうにありません。

♪こじつけではありませんが、私は「ビートルズのリード・ギターはジョージ」。ジョージだったからこそ「ビートルズの音楽はあそこまで成長し、バンドは大成功したのだ」と思います。静かなビートル「ジョージ」は、ギターによる自己出張ではなく「メロディー重視のビートルズの音楽に溶け込む事を第一」に考えたのではないかと、思います。(文章を書きながらも、ジョージの顔が浮かび、涙が出そうです)
ジョージ、素敵な曲とカッコいいギタープレーをありがとう」。

please_please_me

ビートルズのデビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」です。


花チュラサー肝ジュラサー(はなちゅらさーちむじゅらさー)

◆私の「オリジナルソング」をアップしています。良かったら聞いてください。