いつも音楽といっしょ

音楽といっしょに成長した自分を振り返ります。

■いつも音楽といっしょ(山原(ヤマバレ)ユンタ(八重山民謡))■

◆村の若者が「ヌズリャーマ」を誘う様を歌った山原ユンタ(m225)◆


◎収録アルバム 八重山古典民謡、沖縄民謡全集 等

◆島の情報: 石垣島 - Wikipedia


■『山原ユンタ』の歌詞<1>
山原ぬ 底ぬ家ぬ <ヤマバレぬ シクぬヤーぬ>
ヌズリャーマ
ヒヤササ ヤラドーハーイ ヨーホイナ (*ハヤシ)

・大意
山原の 底の家の ヌズリャーマは
ヒヤササ ヤラドーハーイ ヨーホイナ


■『山原ユンタ』の歌詞<2>
あふぁり子ぬ とぅんぎゃーまぬ <あふぁりファぬ とぅんぎゃーまぬ>
生れうん            <マれうん>

・大意
美しい子で とびぬけた
生まれだった


♪絶世の美女「ヌズリャーマ」
・山原(ヤマバレ)村に生まれた「ヌズリャーマ」は、とても美しい娘に成長しました。年頃になった娘を、村の若者が「若衆宿(わかしゅうやど)」に誘います。

・「若衆宿」は、結婚前の十代の男女が集まって夜なべ仕事をするという建前ですが、実際は、野や浜に出て歌い踊るという「青春の謳歌」も多かった様です。


■『山原ユンタ』の歌詞<3> 
走りきざーぎどぅ ゆぬ下れし <ハりきざーぎどぅ ゆぬウれし>
遊びうる           <アサびうる>

・大意
走り蟹でさえ 同じように下って
遊んでいる


♪村の若者と「ヌズリャーマ」
・しかし、「ヌズリャーマ」の親は、娘が「若衆宿」へ行く事を固く禁じました。そこで、村の若者は大勢で押しかけ、大きな石で戸口をふさぐなどイタズラをします。

・毎日続くイタズラに、親は根負けする形で、娘が「若衆宿」へ行く事を許すのでした。『山原ユンタ』は、村の若者が「ヌズリャーマ」を誘う様を面白おかしく歌った民謡です。

・「汗 山原ユンタ 島々のうた 第3集」のジャケットです。

■『山原ユンタ』の歌詞<4> 
我がけーら 浜下りし <バがけーら ハマウりし>
遊ぼうら       <アサぼうら>

・大意
わたしたちも 浜に下りて
遊ぼうよ


♪八重山美人
☆「安里屋クヤマ」:
・琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女「安里屋クヤマ」(1722年-1799年)。「安里屋ユンタ(元唄)」は、八重山に派遣された下級役人がクヤマに一目惚れし、そのやり取りを、面白おかしく歌った八重山民謡です。

☆「山原村のヌズリャーマ」: 
・山原村に生まれた「ヌズリャーマ」は、とても美しい娘に成長しました。『山原ユンタ』は、年頃になった娘を、村の若者が「若衆宿」に誘う様子を歌った八重山民謡です。

◎美智子さん:
・私が大学時代にお付き合いした八重山出身の女の子、八重山美人でした。


♪沖縄プロムジカ合唱団の『山原ユンタ』
・私がこの曲を初めて聞いたのは、沖縄プロムジカ合唱団の混成四部合唱版でした。琉球大学音楽科元教授の城間繁先生が指導されていた沖縄プロムジカ合唱団のレコード「おきなわの旋律(うた)」に『山原ユンタ』が入っていたのです。

・『山原ユンタ』の元歌は、男女の掛け合いでも歌われていました。、城間先生は、男女の掛け合いを混成四部合唱に置き換えた巧みな編曲をされました。

・男女の斉唱から入り、男性のソロを挟み、最後は壮大な混声四部合唱となる。男女の掛け合いを形を変えながら進行させてゆく、沖縄の民謡の芸術性を垣間見る素晴らしい城間先生編曲の『山原ユンタ』です。


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・山原(ヤマバレ)ユンタ(2分42秒)
・山里勇吉の力強い歌声に心打たれます。
・作詞・作曲:八重山民謡 歌:山里勇吉

■いつも音楽といっしょ(鳩間節(八重山民謡))■

◆中森からの眺めと五穀豊穣を願って歌われる鳩間節(m224)◆


◎収録アルバム 八重山古典民謡、沖縄民謡全集 等

◆島の情報: 鳩間島 - Wikipedia

 

■『鳩間節』の歌詞<1>
鳩間中森 走り登り  <ハトゥマナカムリ ハりヌブり>
シターリヨー
クバぬ下に 走り登り <クバぬシチャに ハりヌブり>
ハイヤーヨーティバ
カイーダーキー シルーユール
デーンヨー マサティミグトゥ <デーンヨー 勝って見事>

・大意
鳩間中森に 走り登り 
シターリヨー
クバの下に 走り登り 
ハイヤーヨーティバ
カイーダーキー シルーユール
デーンヨー 勝って見事


♪『鳩間節』は、鳩間島生まれ
・鳩間島は、西表島の北5キロに浮かぶ周囲3.86キロの小さな島です。鳩が多く生息していた事から、鳩間島の名前がつけられたとの事です。

・歌詞の中森は、島の中央より少し南に位置する33.8メートルの丘で、島の最高地に当たります。この中森からの眺めと五穀豊穣を願って歌われる軽快で明るい民謡が『鳩間節』です。


■『鳩間節』の歌詞<2>
まんが南端 見渡しば  <まんがパイバタ ミワタしば>
浜ぬ見るすや 小浦ぬ浜 <浜が見えるよ 小浦の浜>

・大意
対岸の南端を 見渡せば 
浜が見えるよ 小浦の浜 


♪鳩間島でも行われた「島分け」
・「つぃんだら節」で書いた「島分け」は、鳩間島でも行われました。鳩間島の場合は、島の耕作面積が狭いので、出作りという形でした。

・毎日、対岸の西表島の船浦へ渡り、農作業を行うのですが、西表島の島民からの迫害もあり、大変苦労を伴う作業だったそうです。

・「アンガマ」のお祭りのお面です。

■『鳩間節』の歌詞<3>
小浦ぬから 通ゆる人や <小浦の浜を 通っている人は>
蔵元ぬ前ぬ 人心    <蔵元の前の 人のようだ>

・大意
小浦の浜を 通っている人は 
蔵元の前の 人のようだ 


♪琉球舞踊に生まれ変わった『鳩間節』
・私が初めて聞いた『鳩間節』は、軽快な三線伴奏で、初めて見たのは「雑踊り(ぞううどぅい)」の軽快な『鳩間節』でしたが、原曲は、無伴奏又は太鼓拍子のゆったりとしたテンポの古謡(労働歌)でした。

・沖縄本島に伝わった『鳩間節』は、テンポが早い三線伴奏の民謡となり、踊りが振り付けられた「雑踊り」の『鳩間節』は、琉球舞踊の定番曲となりました。「雑踊り」の舞踊衣装は、民衆を現す地味な色のカスリが定番です。

・八重山では、アンガマという家内安全や長寿を願うお祭りがあります。老人と老婆のお面を被った若者がペアとなって、村の家々を回ります。その時のアンガマへのおもてなし余興の定番が『鳩間節』です。その軽快な『鳩間節』に、アンガマも腰が伸びて踊りだすかもしれませんね。


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・鳩間節(3分47秒)
・中森からの眺めと五穀豊穣を願って歌う軽快で明るい民謡です。
・作詞・作曲:八重山民謡 歌:野村流音楽協会

■いつも音楽といっしょ(ジャンバラヤ(カーペンターズ))■

◆「ジャンバラヤ」と「オブラディ・オブラダ」(m223)◆

◎収録アルバム: 「Now & Then」(カーペンターズ) 等 


♪『ャンバラヤ』の歌詞<1>
さようならジョー 俺は行くぜ 
ミシシッピーをカヌーに乗って
お前のイボンヌは可愛い娘だよ
河のそばで楽しくやりなよ


♪料理名がタイトルとなった珍しい歌
・曲名となった『ジャンバラヤ』とは、アメリカ南部・ルイジアナ州のフランス系移民のケイジャン料理の名前で、スパイシーでピリ辛な炊き込みご飯です。スペインのパエリアがルーツとされ、お肉や野菜の旨味、しっかりとした香辛料の風味が特徴です。

・カントリー・ナンバー『ジャンバラヤ』は、アメリカのカントリー歌手ハンク・ウィリアムズが1952年7月に発表した楽曲です。歌詞の面白さもあり、カントリー・ナンバーの大ヒット曲となりました、その後は、ジャンルを問わすカバーされており、日本でも、小坂一也とワゴン・マスターズがカバーしました。

・ハンク・ウィリアムズは、29歳で亡くなるまでわずか6年ほどの短い活動期間ながら、現在も多くのアーティストにカバーされる名曲を数多く残しました。『ジャンバラヤ』以外に「ラヴシック・ブルース」「ユア・チェイティン・ハート」などの代表曲があります。


♪ハンク・ウィリアムズの影響を受けたアーティスト
・ボブ・ディランは、歌詞の偉大なストーリーテリングやフォーク精神において、彼からの強い影響を受けたと公言しています。そして「The Love That Faded」「On the Banks of the Old Ponchartrain」などをカバーしています。また、ハンクの残した未完成の歌詞に曲を付けて完成させたアルバム(「The Lost Notebooks of Hank Williams」)なども発表しています。

・ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは、彼を自身のルーツ・ミュージックと位置づけ、カントリーへの愛とリスペクトを寄せており「You Win Again」などをカバーしています。

・ザ・ビートルズのメンバーも幼少期から彼の楽曲やスタイルに触れて育ちました。初期のクオリーメン時代から「You Win Again」「Hey Good Lookin'」などをカバーして演奏していました。

・ジャンバラヤの作曲者ハンク・ウィリアムズです。

♪『ジャンバラヤ』の歌詞<2>
ジャンバラヤ ザリガニのパイとヒレ肉のスープ
だって 今夜は 彼が帰ってくるのだから
ギターをかき鳴らし フルーツ山盛りで
楽しくやるの
河のそばはお祭り騒ぎになるわ 


♪カーペンターズのカバー
・ハンク・ウィリアムズのオリジナル(1952年)から21年後の1973年、カーペンターズは「ジャンバラヤ」を取り上げ、アルバム「Now & Then」に収録しました。シングルカットされた『ジャンバラヤ』は、イギリス、オランダ、ドイツ、日本などで大ヒットとなりました。私を含め『ジャンバラヤ』を、このカーペンターズ版で知った人も多いかと思います。

・リチャードの楽しさを追求したアレンジは、カントリーの風味を残しつつ、乗りの良いポップスに仕上げています。曲の繰り返しの度にアレンジを変えるリチャードの編曲の手腕には驚かされます。

・カントリーには欠かせないスライド・ギターと乗りの良いフルートの掛け合いが最初から最後まで楽しさをキープさせてくれます。またSE(サウンド・エフェクト)として入っている南米風の笑い声も曲を盛り上げるのに一役かっています。


♪『ジャンバラヤ』と「オブラディ・オブラダ」
・私が、カーペンターズ版の『ジャンバラヤ』を聞いて思い出したのが、ザ・ビートルズの「オブラディ・オブラダ」でした。曲名からして、かたや「料理名」かたや「おまじない」と楽しい因縁を感じさせる二曲です。

・「おまじない」「オブラディ・オブラダ」の由来は、ポール・マッカートニーの知人でナイジェリア人コンガ奏者のジミー・スコットが、会うたびに口にしていた「Ob-la-di, Ob-la-da, life goes on, bra(オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ、人生続くよ、ブラ)」に由来します。

・歌詞を見ると『ジャンバラヤ』は「アメリカ南部の活気に満ちた生活や結婚をテーマにした陽気な楽曲」「オブラディ・オブラダ」は「デズモンドとモリーの恋愛・結婚・子育ての陽気な楽曲」と、二曲とも人生を前向きに、明るくとらえた名曲となっています。

・笑い声のSEは「オブラディ・オブラダ」にも使われています。こちらは肉声ではなく笑い声が出るおもちゃの様にも聞こえます。笑い声は、曲を盛り上げる定番SEかもしれませんネ。

・『ジャンバラヤ』と「オブラディ・オブラダ」は「ノー天気な歌」かも知れませんが、楽しさを追求した歌として大成功した二曲だと私は思います。


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・ジャンバラヤ(3分47秒)
・リチャードの楽しさを追求したアレンジは最高です・
・作詞・作曲:ハンク・ウィリアムズ 歌:カーペンターズ

■いつも音楽といっしょ(マスカレード(カーペンターズ))■

◆私たちは仮面舞踏会の中で迷子になってしまったのね(m222)◆

◎収録アルバム:「Now & Then」(カーペンターズ) 等 


♪『マスカレード』の歌詞<1>
こんな淋しいゲームを続ける
二人は 本当に幸せなの?
言葉にも詰まり
二人の溝を埋める努力も
もう尽きてしまった
私たちは仮面舞踏会の中で
迷子になってしまったのね


♪『マスカレード』=「仮面舞踏会」「仮装パーティ」…
・『マスカレード』は「仮面舞踏会」や「仮装パーティ」を意味します。転じて、日常会話や小説などでは「見せかけ」「偽り」「ごまかし」といった、本当の姿を隠して、別のものを装う事の比喩として使われたりもします。

・レオン・ラッセルの『マスカレード』は、まずその妖艶なメロディーラインが素晴らしいです。そして「私たちは仮面舞踏会の中で迷子になってしまったのね(We're lost in this masquerade)」は、どうすれば良いか分からず、途方に暮れる仮面の恋人たちが見事に表現された素晴らしい歌詞です。

・ジョージ・ベンソンのカバーが、ポップやR&Bのチャートでトップ10入りした事で、この曲がメジャーとなりました。

・ジョージ・ベンソンのカバーがトップ10入りし、この曲がメジャーとなりました。

♪レオン・ラッセルのオリジナル『マスカレード』
・1972年6月に発表されたアルバム『カーニー (Carney)』の収録曲です。同アルバムからのシングル『タイト・ロープ』のB面にも収録されました。

・レオン・ラッセル独特の歌い方は、恋に疲れた仮面の恋人たちを見事に歌い上げています。歌に絡み合うようなブルージーなフルートもフインキ作りに一役かっています。このフルートを大幅に取り入れたのがカーペンターズのカバーと考えられます。

・レオン・ラッセルの凄さ:妖艶なメロディーライン
<その1>「Are we really happy」(ラシドレミ-シ--)のメロディーは、妖艶であり「掴みはOK」のメロディーラインとなっております。

<その2>「We're lost inside this lonely game we play」(ミソ- ミソ#- ミラシソラミ--)。長調へ転調した最後、頭へ戻る時の意味深なメロディーラインです。半音ずつ上行するメロディーは「この孤独なゲームからふたりは抜け出せない」を良く表しています。


♪『マスカレード』の歌詞<2>
口に出すのを恐れているの
最初からふたりの心は離れていた事を
話し合ってはみたけれど 
言葉は詰まってばかり
この孤独なゲームから
ふたりは抜け出せないのね


♪カーペンターズのカバー『マスカレード』
・カーペンターズのカバーは、1973年のアルバム「Now & Then」に収録されています。また、シングル「プリーズ・ミスター・ポストマン」のB面にも収録されました。

・カーペンターズのカバー『マスカレード』は、約5分ですが、距離が縮まらないままの虚しい関係の仮面の恋人たちの「仮面舞踏会」を見事に表し、寂しさと共に何故か懐かしさを感じさせる素晴らしい仕上がりとなっています。

・カーペンターズのカバーの凄さ:曲のフインキを見事に掴んだ歌とアレンジ
<その1>カレンの抑えたヴォーカルが、恋の迷路にハマった大人の恋を見事に歌いきっています。

<その2>リチャードの、今までのカーペンターズ・アレンジと一線を画す本格的まジャズアレンジが素晴らしいです。

<その3>ボブ・メッセンジャーの乗りに乗ったフルート演奏が素晴らしいです。


♪『マスカレード』の歌詞<3>
何度も別れようとしたけれど
あなたの瞳を見るとダメなの
どうしてこうなってしまうのか
一生懸命考える事は無駄なことかしら
でも ここから抜け出せないでいる二人
私たちは仮面舞踏会の中で
迷子になってしまったのね


♪中学生の私と『マスカレード』
・初めて『マスカレード』を聞いたのは中学生の時でした。中学ではブラスバンド部に所属し、スーザのマーチ曲などをフルートで吹いていました。練習したマーチ曲のメドレーは、全校集会での生徒の入退場で演奏されました。

・『マスカレード』のフルート演奏を聞いた時には、初めての「ジャッズ・フルート体験」にぶっ飛びました。そして「今の自分では吹けないな~」と思うと同時にボンヤリ「いつかこんな曲を吹きこなしたい」と、口をポカーンと開けて聞いていた事を思い出します。


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・マスカレード(1分47秒)
・カレンとエラ・フィッツジェラルドの共演です。
・作詞・作曲:レオン・ラッセル 歌:カーペンターズ

■いつも音楽といっしょ(シング(カーペンターズ))■

◆子供たちと「シング」を歌うカレンが素敵です(m221)◆

◎収録アルバム:「Now & Then」(カーペンターズ) 等 


♪『シング』の歌詞<1>
シング 歌いましょう
大きく そして 強く 
歌うことはいい事よ
こだわらなくていいわ
歌うことはハッピーな事よ
寂しさなんてすっとんじゃうわ!


♪アルバム「Now & then」のテーマのような曲
・『シング』は、カーペンターズの大ヒットアルバム「Now & then」の1曲目を飾る、アルバムを貫くテーマのような曲です。

・「シング 歌いましょう 歌うことはいい事よ」『シング』は、歌う事に人生をかけたカーペンターズの音楽賛歌だと思います。

・「歌うことはハッピーな事よ 寂しさなんてすっとんじゃうわ」そして、歌う事で「ハッピーになって欲しい」というカーペンターズの願いが込めらていると、私は思います。


♪テレビ番組「セサミストリート」から生まれた名曲
・『シング(英語版)』は、ジョー・ラポソがテレビ番組「セサミストリート」の挿入歌として作詞・作曲した曲です。

・テレビ番組に出演したカーペンターズが『シング』歌う子供たちをに感動して、カバーする事を思いついたそうです。


♪児童合唱団と楽しく歌うカレン
・『シング』のレコーディングでは、ジミー・ジョイス少年少女合唱団がバックコーラスで参加しました。その後のコンサートでも『シング』を歌う時には、地元の児童合唱団がバックコーラスで参加しています。

・1974年の日本ツアーで、カレンは『シング』を日本語で歌い、大阪公演では京都少年少女合唱団が、東京公演ではひばり児童合唱団がバックコーラスで参加しました。カレンが子供達と楽しく歌うの様子は、DVD『ライヴ・イン・ジャパン』で見る事できます。

・「ライヴ・イン・ジャパン(DVD)」のジャケットです。

♪『シング』の歌詞<2>
シング 歌いましょう
人生を 心地良く過ごすためにね 
うまいヘタなんて
気にしないで
さぁ!
歌いましょう


♪カーペンターズの歌に助けられた命
・ある娘さんから、カーペンターズは手紙を受け取りました。内容は「私は、自殺を考えていましたが、カーペンターズの「愛のプレリュード」を聞いて、自殺を思い止まりました」でした。

・カーペンターズは、自分達の音楽が人の命を助けた事に深い喜びを感じ、娘さんに励ましの手紙を送りました。

・私はその娘さんが「愛のプレリュード」を聞きながらきっと出だしの「We've Only Just Begun(二人の人生は始まったばかり)」と涙を流しながらいっしょに歌って、自殺を思い止まったと思います。歌にはこんな素晴らしい力があるのですね。


♪「歌う楽しさ」を教えてくださった音楽の先生
・私が、小学校高学年の時の音楽専科の先生は、教え方のうまい中年の女の先生でした。その先生の授業は、子供の心を惹きつけ「音楽って、こんなに楽しいんだ」と、感じさせてくれる素晴らしい授業でした。

・また先生は、教科書に載っていない歌も、たくさん教えてくださいました。「こんな素敵な歌もあるのよ」と言って、黒板に歌詞を書き、歌って教えてくださいました。私は「たきび」「里の秋」「おお牧場はみどり」などの歌詞を、一生懸命ノートに書き写しながら、たくさんの歌を覚えてゆきました。まさに、先生は「歌う楽しさ」を始めて教えてくださった人生の恩師です。


♪歌う事は誰にでもできる事
・「シング 歌いましょう 人生を 心地良く過ごすためにね」
歌う事は誰にでもできる事です。気分が良くて自然に出てくる鼻歌から、人生の苦しみ中で口ずさむ歌。カーペンターズは『シング』で「歌を人生の友として生きてゆく事は素晴らしい事よ」と、歌っていると、私は思います。


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・シング<日本語歌詞>(4分20秒)
・子供たちと「シング」を歌うカレンが素敵です。
・作詞・作曲:ジョー・ラポソ 歌:カーペンターズ

■いつも音楽といっしょ(イエスタデイ・ワンス・モア(カーペンターズ))■

◆「あの頃よもう一度」が詰まったご機嫌なアルバム(m220)◆

◎収録アルバム:「Now & Then」(カーペンターズ) 等 


♪『イエスタデイ・ワンス・モア』の歌詞<1>
若い頃 いつもラジオを聞いていたわ
「私のお気に入りの曲は いつ流れるのかしら?」
とワクワクしながらね

お目当ての曲がかかったら 最高!
いっしょに最初から最後まで
歌ったものだったわ


♪「Now & Then」: 一番売れたカーペンターズのアルバム
・『イエスタデイ・ワンス・モア』が収録された「Now & Then」は、日本で一番売れたカーペンターズのアルバムです(オリコン1位獲得)。

・レコード版「Now & Then」の帯には「今、そしてあの頃」と、日本語訳が載せられています。「今、そしてあの頃」⇒「あの頃よもう一度」を、音で見事によみがえらせる事に成功したのが、この「Now & Then」です。

  
♪「Now & Then」: ご機嫌な60年代メドレーが最高!
・「Now & Then」の6曲目(レコードならB面)の『イエスタデイ・ワンス・モア』から「イエスタデイ・ワンス・モア(リプライズ)」までに「あの頃よもう一度」が詰まったご機嫌なメドレーがあります。

・それは、60年代ポップスが連発される陽気なメドレー8曲です。まずはDJの乗り乗りMC、そしてご機嫌なメドレーがスタートします。

・60年代ポップスメドレー(8曲)
1)ファン、ファン、ファン  (Fun, Fun, Fun) 
2)この世の果てまで  (The End of the World) 
3)ハイ・ロン・ロン  (Da Doo Ron Ron (When He Walked Me Home))
4)デッドマンズ・カーブ  (Dead Man's Curve) 
5)ジョニー・エンジェル  (Johnny Angel) 
6)燃ゆる瞳  (The Night Has a Thousand Eyes) 
7)アワ・デイ・ウィル・カム  (Our Day Will Come) 
8)ワン・ファイン・デイ  (One Fine Day)

・イエスタデイ・ワンス・モア(シングル)のジャケットです。

♪『イエスタデイ・ワンス・モア』の歌詞<2>
「シャ・ラ・ラ・ラ」「ウォウ・ウォウ」
その一つ一人が今も輝いている

「シンガ・リンガ・リン」の歌い出しも
とっても素敵だった


♪「Now & Then」: Favorite Song が Still Shine
・私は多感な十代に聞いて、気に入った歌やアーティストが、その後の音楽志向を決定する可能性が高いと考えています。その後の人生で困難や迷いが生じた時にも、その歌やアーティストはそっと寄り添い、慰めたくれたり、時には方向性を示唆してくれたりもします。

・カーペンターズのリチャード(1946年生まれ)、カレン(1950年生まれ)の多感な十代は、60年代ポップスとカブっていました。二人のお気に入りが、このアルバムの「60年代ポップス・メドレー」となり、それらは「Still Shine(今も輝いている)」と歌っているアルバムが「Now & Then」だと思います。


♪『イエスタデイ・ワンス・モア』の歌詞<3>
私の最高の思い出が
あざやかによみがえる
ちょっと涙ぐんでしまうけど
昔と変わらない
あの日よ もう一度


♪「Now & Then」: 映画「アメリカン・グラフィティ」「グリース」
・60年代アメリカの若者の生活・音楽等を題材とした音楽・映画のリリース年。
1973年 5月: アルバム「Now & Then」
1974年12月: 映画「アメリカン・グラフィティ」
1978年12月: 映画「グリース」

・なんと、アルバム「Now & Then」のリリースが一番早いとわかりました(何かビックリ!)。もしかして、映画「アメリカン・グラフィティ」「グリース」は「Now & Then」に触発されて制作されたのでは?と思ってしまうくらいです。

・そして、これらのアルバム・映画は「60年代アメリカの若者の生活・音楽に憧れる日本人を生み出した」と、私は考えています。それは、まさにポニーテールの女の子と、グリースで決めた男の子がレコード盤の上で踊りまくるイメージです。そして、どこか戦後をまだ引きずっていた日本人に「陽気で楽しいアメリカ」を体現させてくれ「新しい生き方」を示唆してくれた功績は大きいと、私は考えています。


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・アルバム「Now & Then」のメドレー(16分28秒)
・ご機嫌な「60年代ポップスメドレー」です。
・作詞・作曲:各アーティスト 歌:カーペンターズ

■いつも音楽といっしょ(つぃんだら節(八重山民謡))■

◆『つぃんだら節』は、マーペーの涙の結晶(m219)◆


◎収録アルバム 八重山古典民謡(2)、沖縄民謡全集 等

◆島の情報: 黒島 (沖縄県竹富町) - Wikipedia

 

◆『つぃんだら節』の歌詞<1>
とぅばれまとぅ 我んとぅやよ <とぅばれまとぅ バんとぅやよ>
スーリ
童からぬ 遊び友達      <ヤラビからぬ アスびトーチ>
ハーリヌ
つぃんだら つぃんだら

・大意
あなたと わたしは
スーリ
子供の時からの 遊び友達だった
ハーリヌ
つぃんだら つぃんだら


♪過酷な「島分け」
・ある日、黒島に琉球王朝の役人がやってきて、村の真ん中に線を引きます。線の片側は「石垣入植組」で、反対側は「黒島居残り組」です。親類・縁者、まして恋人同士などの配慮はいっさいありません。役人の引いた線一本で、黒島の人々の運命が定められたのです。

・琉球王朝時代の1732年に、黒島の「島分け」が行われました。黒島から男女約400人が、石垣島に移され、野底(ぬすく)の村を作りました。目的は、黒島の人口調整と石垣島入植による税収増を見込んででしたが、未開地への入植は厳しい上に、野底はマラリア蚊の多い土地でした。


◆『つぃんだら節』の歌詞<2>
うば一人 退きなりよ <うばタンガ ドゥきなりよ>
野底に 分ぎらり   <ヌスクに バぎらり>

・大意
わたし一人で 苦しい
野底に 分けられて

・島の夕暮れ、マーペーの涙が光ります。

♪野底岳で岩となったマーペー
・黒島に住む娘マーペーと若者カニムイは幼なじみで、農作業も一緒やる程の仲良しでした。しかし「島分け」で、マーペーだけが、石垣島の野底に強制移住させられました。その上、マーペーは、野底でマラリアに感染してしまいました。

・カニムイが忘れられないマーペーは、病を押して野底岳の頂上に登りました。しかし、オモト岳がじゃまをしてカニムイが住む黒島は見えません。村人が心配して、マーペーを探しに行くと、そこには、黒島に向って泣いているような岩があり、マーペーはいませんでした。それから、村人は、野底岳を「野底マーペー」と呼ぶようになりました。


◆『つぃんだら節』の歌詞<3>
我ん一人 苦しゃよ <バんタンガ クリしゃよ>
黒島に 残され   <クルスィマに ヌクされ>

・大意
わたし一人で 苦しい
黒島に 残され


♪『つぃんだら節』は、マーペーの涙の結晶
・「つぃんだら」とは「可愛い」という意味で、『つぃんだら節』では、曲名とハヤシに使われています。

・「島分け」は、黒島だけでなく他に島でも強制的に行われました。親兄弟の無情の別れ、引き裂かれる恋人達の悲劇を生んだ「島分け」です。

・「島分け」は、仏教でいう「愛苦別離」、それも生きたままでの辛い辛い別れでした。そして『つぃんだら節』は「島分け」に泣いたマーペーの涙の結晶でした。


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・つぃんだら節(4分52秒)
・つぃんだら節は、マーペーの涙の結晶です。
・作詞・作曲:八重山民謡 歌:高嶺ミツ