いつも音楽といっしょ

音楽といっしょに成長した自分を振り返ります。

■いつも音楽といっしょ(マスカレード(カーペンターズ))■

◆私たちは仮面舞踏会の中で迷子になってしまったのね(m222)◆

◎収録アルバム:「Now & Then」(カーペンターズ) 等 


♪『マスカレード』の歌詞<1>
こんな淋しいゲームを続ける
二人は 本当に幸せなの?
言葉にも詰まり
二人の溝を埋める努力も
もう尽きてしまった
私たちは仮面舞踏会の中で
迷子になってしまったのね


♪『マスカレード』=「仮面舞踏会」「仮装パーティ」…
・『マスカレード』は「仮面舞踏会」や「仮装パーティ」を意味します。転じて、日常会話や小説などでは「見せかけ」「偽り」「ごまかし」といった、本当の姿を隠して、別のものを装う事の比喩として使われたりもします。

・レオン・ラッセルの『マスカレード』は、まずその妖艶なメロディーラインが素晴らしいです。そして「私たちは仮面舞踏会の中で迷子になってしまったのね(We're lost in this masquerade)」は、どうすれば良いか分からず、途方に暮れる仮面の恋人たちが見事に表現された素晴らしい歌詞です。

・ジョージ・ベンソンのカバーが、ポップやR&Bのチャートでトップ10入りした事で、この曲がメジャーとなりました。

・ジョージ・ベンソンのカバーがトップ10入りし、この曲がメジャーとなりました。

♪レオン・ラッセルのオリジナル『マスカレード』
・1972年6月に発表されたアルバム『カーニー (Carney)』の収録曲です。同アルバムからのシングル『タイト・ロープ』のB面にも収録されました。

・レオン・ラッセル独特の歌い方は、恋に疲れた仮面の恋人たちを見事に歌い上げています。歌に絡み合うようなブルージーなフルートもフインキ作りに一役かっています。このフルートを大幅に取り入れたのがカーペンターズのカバーと考えられます。

・レオン・ラッセルの凄さ:妖艶なメロディーライン
<その1>「Are we really happy」(ラシドレミ-シ--)のメロディーは、妖艶であり「掴みはOK」のメロディーラインとなっております。

<その2>「We're lost inside this lonely game we play」(ミソ- ミソ#- ミラシソラミ--)。長調へ転調した最後、頭へ戻る時の意味深なメロディーラインです。半音ずつ上行するメロディーは「この孤独なゲームからふたりは抜け出せない」を良く表しています。


♪『マスカレード』の歌詞<2>
口に出すのを恐れているの
最初からふたりの心は離れていた事を
話し合ってはみたけれど 
言葉は詰まってばかり
この孤独なゲームから
ふたりは抜け出せないのね


♪カーペンターズのカバー『マスカレード』
・カーペンターズのカバーは、1973年のアルバム「Now & Then」に収録されています。また、シングル「プリーズ・ミスター・ポストマン」のB面にも収録されました。

・カーペンターズのカバー『マスカレード』は、約5分ですが、距離が縮まらないままの虚しい関係の仮面の恋人たちの「仮面舞踏会」を見事に表し、寂しさと共に何故か懐かしさを感じさせる素晴らしい仕上がりとなっています。

・カーペンターズのカバーの凄さ:曲のフインキを見事に掴んだ歌とアレンジ
<その1>カレンの抑えたヴォーカルが、恋の迷路にハマった大人の恋を見事に歌いきっています。

<その2>リチャードの、今までのカーペンターズ・アレンジと一線を画す本格的まジャズアレンジが素晴らしいです。

<その3>ボブ・メッセンジャーの乗りに乗ったフルート演奏が素晴らしいです。


♪『マスカレード』の歌詞<3>
何度も別れようとしたけれど
あなたの瞳を見るとダメなの
どうしてこうなってしまうのか
一生懸命考える事は無駄なことかしら
でも ここから抜け出せないでいる二人
私たちは仮面舞踏会の中で
迷子になってしまったのね


♪中学生の私と『マスカレード』
・初めて『マスカレード』を聞いたのは中学生の時でした。中学ではブラスバンド部に所属し、スーザのマーチ曲などをフルートで吹いていました。練習したマーチ曲のメドレーは、全校集会での生徒の入退場で演奏されました。

・『マスカレード』のフルート演奏を聞いた時には、初めての「ジャッズ・フルート体験」にぶっ飛びました。そして「今の自分では吹けないな~」と思うと同時にボンヤリ「いつかこんな曲を吹きこなしたい」と、口をポカーンと開けて聞いていた事を思い出します。


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・マスカレード(1分47秒)
・カレンとエラ・フィッツジェラルドの共演です。
・作詞・作曲:レオン・ラッセル 歌:カーペンターズ

■いつも音楽といっしょ(シング(カーペンターズ))■

◆子供たちと「シング」を歌うカレンが素敵です(m221)◆

◎収録アルバム:「Now & Then」(カーペンターズ) 等 


♪『シング』の歌詞<1>
シング 歌いましょう
大きく そして 強く 
歌うことはいい事よ
こだわらなくていいわ
歌うことはハッピーな事よ
寂しさなんてすっとんじゃうわ!


♪アルバム「Now & then」のテーマのような曲
・『シング』は、カーペンターズの大ヒットアルバム「Now & then」の1曲目を飾る、アルバムを貫くテーマのような曲です。

・「シング 歌いましょう 歌うことはいい事よ」『シング』は、歌う事に人生をかけたカーペンターズの音楽賛歌だと思います。

・「歌うことはハッピーな事よ 寂しさなんてすっとんじゃうわ」そして、歌う事で「ハッピーになって欲しい」というカーペンターズの願いが込めらていると、私は思います。


♪テレビ番組「セサミストリート」から生まれた名曲
・『シング(英語版)』は、ジョー・ラポソがテレビ番組「セサミストリート」の挿入歌として作詞・作曲した曲です。

・テレビ番組に出演したカーペンターズが『シング』歌う子供たちをに感動して、カバーする事を思いついたそうです。


♪児童合唱団と楽しく歌うカレン
・『シング』のレコーディングでは、ジミー・ジョイス少年少女合唱団がバックコーラスで参加しました。その後のコンサートでも『シング』を歌う時には、地元の児童合唱団がバックコーラスで参加しています。

・1974年の日本ツアーで、カレンは『シング』を日本語で歌い、大阪公演では京都少年少女合唱団が、東京公演ではひばり児童合唱団がバックコーラスで参加しました。カレンが子供達と楽しく歌うの様子は、DVD『ライヴ・イン・ジャパン』で見る事できます。

・「ライヴ・イン・ジャパン(DVD)」のジャケットです。

♪『シング』の歌詞<2>
シング 歌いましょう
人生を 心地良く過ごすためにね 
うまいヘタなんて
気にしないで
さぁ!
歌いましょう


♪カーペンターズの歌に助けられた命
・ある娘さんから、カーペンターズは手紙を受け取りました。内容は「私は、自殺を考えていましたが、カーペンターズの「愛のプレリュード」を聞いて、自殺を思い止まりました」でした。

・カーペンターズは、自分達の音楽が人の命を助けた事に深い喜びを感じ、娘さんに励ましの手紙を送りました。

・私はその娘さんが「愛のプレリュード」を聞きながらきっと出だしの「We've Only Just Begun(二人の人生は始まったばかり)」と涙を流しながらいっしょに歌って、自殺を思い止まったと思います。歌にはこんな素晴らしい力があるのですね。


♪「歌う楽しさ」を教えてくださった音楽の先生
・私が、小学校高学年の時の音楽専科の先生は、教え方のうまい中年の女の先生でした。その先生の授業は、子供の心を惹きつけ「音楽って、こんなに楽しいんだ」と、感じさせてくれる素晴らしい授業でした。

・また先生は、教科書に載っていない歌も、たくさん教えてくださいました。「こんな素敵な歌もあるのよ」と言って、黒板に歌詞を書き、歌って教えてくださいました。私は「たきび」「里の秋」「おお牧場はみどり」などの歌詞を、一生懸命ノートに書き写しながら、たくさんの歌を覚えてゆきました。まさに、先生は「歌う楽しさ」を始めて教えてくださった人生の恩師です。


♪歌う事は誰にでもできる事
・「シング 歌いましょう 人生を 心地良く過ごすためにね」
歌う事は誰にでもできる事です。気分が良くて自然に出てくる鼻歌から、人生の苦しみ中で口ずさむ歌。カーペンターズは『シング』で「歌を人生の友として生きてゆく事は素晴らしい事よ」と、歌っていると、私は思います。


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・シング<日本語歌詞>(4分20秒)
・子供たちと「シング」を歌うカレンが素敵です。
・作詞・作曲:ジョー・ラポソ 歌:カーペンターズ

■いつも音楽といっしょ(イエスタデイ・ワンス・モア(カーペンターズ))■

◆「あの頃よもう一度」が詰まったご機嫌なアルバム(m220)◆

◎収録アルバム:「Now & Then」(カーペンターズ) 等 


♪『イエスタデイ・ワンス・モア』の歌詞<1>
若い頃 いつもラジオを聞いていたわ
「私のお気に入りの曲は いつ流れるのかしら?」
とワクワクしながらね

お目当ての曲がかかったら 最高!
いっしょに最初から最後まで
歌ったものだったわ


♪「Now & Then」: 一番売れたカーペンターズのアルバム
・『イエスタデイ・ワンス・モア』が収録された「Now & Then」は、日本で一番売れたカーペンターズのアルバムです(オリコン1位獲得)。

・レコード版「Now & Then」の帯には「今、そしてあの頃」と、日本語訳が載せられています。「今、そしてあの頃」⇒「あの頃よもう一度」を、音で見事によみがえらせる事に成功したのが、この「Now & Then」です。

  
♪「Now & Then」: ご機嫌な60年代メドレーが最高!
・「Now & Then」の6曲目(レコードならB面)の『イエスタデイ・ワンス・モア』から「イエスタデイ・ワンス・モア(リプライズ)」までに「あの頃よもう一度」が詰まったご機嫌なメドレーがあります。

・それは、60年代ポップスが連発される陽気なメドレー8曲です。まずはDJの乗り乗りMC、そしてご機嫌なメドレーがスタートします。

・60年代ポップスメドレー(8曲)
1)ファン、ファン、ファン  (Fun, Fun, Fun) 
2)この世の果てまで  (The End of the World) 
3)ハイ・ロン・ロン  (Da Doo Ron Ron (When He Walked Me Home))
4)デッドマンズ・カーブ  (Dead Man's Curve) 
5)ジョニー・エンジェル  (Johnny Angel) 
6)燃ゆる瞳  (The Night Has a Thousand Eyes) 
7)アワ・デイ・ウィル・カム  (Our Day Will Come) 
8)ワン・ファイン・デイ  (One Fine Day)

・イエスタデイ・ワンス・モア(シングル)のジャケットです。

♪『イエスタデイ・ワンス・モア』の歌詞<2>
「シャ・ラ・ラ・ラ」「ウォウ・ウォウ」
その一つ一人が今も輝いている

「シンガ・リンガ・リン」の歌い出しも
とっても素敵だった


♪「Now & Then」: Favorite Song が Still Shine
・私は多感な十代に聞いて、気に入った歌やアーティストが、その後の音楽志向を決定する可能性が高いと考えています。その後の人生で困難や迷いが生じた時にも、その歌やアーティストはそっと寄り添い、慰めたくれたり、時には方向性を示唆してくれたりもします。

・カーペンターズのリチャード(1946年生まれ)、カレン(1950年生まれ)の多感な十代は、60年代ポップスとカブっていました。二人のお気に入りが、このアルバムの「60年代ポップス・メドレー」となり、それらは「Still Shine(今も輝いている)」と歌っているアルバムが「Now & Then」だと思います。


♪『イエスタデイ・ワンス・モア』の歌詞<3>
私の最高の思い出が
あざやかによみがえる
ちょっと涙ぐんでしまうけど
昔と変わらない
あの日よ もう一度


♪「Now & Then」: 映画「アメリカン・グラフィティ」「グリース」
・60年代アメリカの若者の生活・音楽等を題材とした音楽・映画のリリース年。
1973年 5月: アルバム「Now & Then」
1974年12月: 映画「アメリカン・グラフィティ」
1978年12月: 映画「グリース」

・なんと、アルバム「Now & Then」のリリースが一番早いとわかりました(何かビックリ!)。もしかして、映画「アメリカン・グラフィティ」「グリース」は「Now & Then」に触発されて制作されたのでは?と思ってしまうくらいです。

・そして、これらのアルバム・映画は「60年代アメリカの若者の生活・音楽に憧れる日本人を生み出した」と、私は考えています。それは、まさにポニーテールの女の子と、グリースで決めた男の子がレコード盤の上で踊りまくるイメージです。そして、どこか戦後をまだ引きずっていた日本人に「陽気で楽しいアメリカ」を体現させてくれ「新しい生き方」を示唆してくれた功績は大きいと、私は考えています。


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・アルバム「Now & Then」のメドレー(16分28秒)
・ご機嫌な「60年代ポップスメドレー」です。
・作詞・作曲:各アーティスト 歌:カーペンターズ

■いつも音楽といっしょ(つぃんだら節(八重山民謡))■

◆『つぃんだら節』は、マーペーの涙の結晶(m219)◆


◎収録アルバム 八重山古典民謡(2)、沖縄民謡全集 等

◆島の情報: 黒島 (沖縄県竹富町) - Wikipedia

 

◆『つぃんだら節』の歌詞<1>
とぅばれまとぅ 我んとぅやよ <とぅばれまとぅ バんとぅやよ>
スーリ
童からぬ 遊び友達      <ヤラビからぬ アスびトーチ>
ハーリヌ
つぃんだら つぃんだら

・大意
あなたと わたしは
スーリ
子供の時からの 遊び友達だった
ハーリヌ
つぃんだら つぃんだら


♪過酷な「島分け」
・ある日、黒島に琉球王朝の役人がやってきて、村の真ん中に線を引きます。線の片側は「石垣入植組」で、反対側は「黒島居残り組」です。親類・縁者、まして恋人同士などの配慮はいっさいありません。役人の引いた線一本で、黒島の人々の運命が定められたのです。

・琉球王朝時代の1732年に、黒島の「島分け」が行われました。黒島から男女約400人が、石垣島に移され、野底(ぬすく)の村を作りました。目的は、黒島の人口調整と石垣島入植による税収増を見込んででしたが、未開地への入植は厳しい上に、野底はマラリア蚊の多い土地でした。


◆『つぃんだら節』の歌詞<2>
うば一人 退きなりよ <うばタンガ ドゥきなりよ>
野底に 分ぎらり   <ヌスクに バぎらり>

・大意
わたし一人で 苦しい
野底に 分けられて

・島の夕暮れ、マーペーの涙が光ります。

♪野底岳で岩となったマーペー
・黒島に住む娘マーペーと若者カニムイは幼なじみで、農作業も一緒やる程の仲良しでした。しかし「島分け」で、マーペーだけが、石垣島の野底に強制移住させられました。その上、マーペーは、野底でマラリアに感染してしまいました。

・カニムイが忘れられないマーペーは、病を押して野底岳の頂上に登りました。しかし、オモト岳がじゃまをしてカニムイが住む黒島は見えません。村人が心配して、マーペーを探しに行くと、そこには、黒島に向って泣いているような岩があり、マーペーはいませんでした。それから、村人は、野底岳を「野底マーペー」と呼ぶようになりました。


◆『つぃんだら節』の歌詞<3>
我ん一人 苦しゃよ <バんタンガ クリしゃよ>
黒島に 残され   <クルスィマに ヌクされ>

・大意
わたし一人で 苦しい
黒島に 残され


♪『つぃんだら節』は、マーペーの涙の結晶
・「つぃんだら」とは「可愛い」という意味で、『つぃんだら節』では、曲名とハヤシに使われています。

・「島分け」は、黒島だけでなく他に島でも強制的に行われました。親兄弟の無情の別れ、引き裂かれる恋人達の悲劇を生んだ「島分け」です。

・「島分け」は、仏教でいう「愛苦別離」、それも生きたままでの辛い辛い別れでした。そして『つぃんだら節』は「島分け」に泣いたマーペーの涙の結晶でした。


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・つぃんだら節(4分52秒)
・つぃんだら節は、マーペーの涙の結晶です。
・作詞・作曲:八重山民謡 歌:高嶺ミツ

■いつも音楽といっしょ(デンサー節(八重山民謡))■

◆「大切なことを伝える」民謡『デンサー節』(m218)◆


◎収録アルバム 八重山民謡全集 等

◆島の情報: 石垣島 - Wikipedia

 

◆『デンサー節』の歌詞<1>
デンサー節 作て     <デンサブシ チクて>
童ん達に 詠まら    <ワラビんチャに ユまら>
世間の 戒しめ     <シキンの イマしめ>
なゆしど 我んね願ゆる <なゆしど ワンんねニガゆる>
デンサー

・大意
デンサー節を作って
子供達に聞かせよう
世間の習い(を教えたい)
だから 私は(この歌に)願う
デンサー


♪八重山地方に伝わる代表的な教訓歌
・『デンサー節』は、八重山地方に伝わる代表的な教訓歌です。「デンサー」は「伝旨(でんし)」や「伝唱(でんしょう)」が語源とされ「大切なことを伝える」という意味が込められています。

・『デンサー節』の生まれた経緯として、西表島の上原村に赴任した宮良里賢(みやら りけん)が、村人の教化のために作詞・作曲したと伝えられています(1768年)。 

・最近では、 BEGINの楽曲「島人ぬ宝」の歌詞の中に『デンサー節』が出てきました。これは『デンサー節』が、星の数ほどある八重山民謡の中でも、代表曲である事の証明とも考えられます。


◆『デンサー節』の歌詞<2>
物言らば つぃつぃしみよ <ムヌユらば つぃつぃしみよ>
口の外 出じゃすなよ   <クチのフカ インじゃすなよ>
出じゃち 後からや    <インじゃち アトゥからや>
呑みや ならぬ      <ヌみや ならぬ>
デンサー

・大意
物を言う時は、気を付けなさい
(メッタな事は)口から出さないように
(口から)出した後は
もう呑み込めないからね
デンサー


♪「言葉を慎みなさい」の教訓
・歌詞は、人が生きていく上での道徳や心構えを説くものが中心です。時代とともに多くの歌詞が追加されていますが、代表的な教えには以下のようなものがあります。

・言葉の慎み: 「物を言うときは慎みなさい。一度口から出た言葉は、二度と飲み込むことはできない(取り返しがつかない)」という戒め。

・「口は災いの元」。わかっちゃいるけど、やめられないのが人の噂話。そこだけの話のつもりが、巡り巡って本人に伝わっていて、取り返しのつかない事になったりします。

・親孝行: 親へ感謝の心を持ち、親孝行をしなさい。

・敬意: 目上の人を敬うことは、とても大切です。

・勤勉: 真面目に働き、日々の生活を律することが重要です。 

・「アンガマ」は、八重山地方の旧盆の主役です。

■沖縄の三大教訓歌
・一般に、上記の「『デンサー節』(八重山)」「てぃんさぐぬ花(沖縄本島)」「なりやまあやぐ(宮古島)」が、沖縄の三大教訓歌と言われています。

◆「てぃんさぐぬ花(沖縄本島)」
てぃんさぐぬ花や <ティンサグヌハナヤ>
爪先に染みてぃ  <チミサチニスミティ>
親ぬゆし言や   <ウヤヌユシグゥトゥヤ>
肝に染みり    <チムニスミリ>  

・大意
ほうせん花の花びらは 
爪先に染めて
親のさとしは 
心に染めなさい

・「てぃんさぐぬ花」とは、沖縄方言でほうせん花のことです。沖縄では、古くからほうせん花を絞った汁を爪に塗って染めると、マジムン(悪霊)除けの効果があると信じられていました。

・「てぃんさぐぬ花」も、時代とともに多くの歌詞が追加されていますが、総じて、親や年長者の教えに従うことの重要性を説く教訓歌となっています。


◆「なりやまあやぐ(宮古島)」
さー なりやまや なりてぃぬ なりやま
すぅみやま すぅみてぃぬ すぅみやま
イラユマーン サーヤヌ
すぅみてぃぬ すぅみやま

・大意
さー 馴れ山は馴れた山
染め山は染めた山
イラユマーン サーヤヌ
染めての すみ山

・「なりやまあやぐ」は、宮古島の城辺(ぐすぐべ)友利(ともり)地区が発祥地とされています。、友利地区では、この歌を継承するための「なりやまあやぐまつり」が開催されているそうです。

・「あやぐ」とは「綾語(あやごと)」が語源とされ、「美しい言葉」「心情を表現する言葉」という意味です。歌詞の内容としては、教訓歌や恋愛歌など多岐に渡ります。

・「なりやまあやぐ」は、宮古民謡の代表的な教訓歌ですが、上記の二曲とは、少し毛色が違う教訓歌です。元歌から変遷を繰り返し、現在の歌詞は「妻が旅に出る夫にあたえる教訓歌」とも言える内容になっています。

・上記歌詞の「馴れ山」は妻「すみ山」は、旅先で出会う女性(娘)と想定すると、意味がわかりやすくなると思います。三番、四番では、この女性を馬に例えて歌われ、五番では、旅から戻る夫を気遣う歌詞となっています。

・また「なりやまあやぐ」には、夫婦だけでなく人間関係や世の中の出来事に「深入りしない方が良い」という戒めも含まれていると言われています。


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・デンサー節(3分21秒)
・山里ユキさんの心に染みる「デンサー節」です。
・作詞・作曲:八重山民謡 歌・三線:山里ゆき子(山里ユキ)

■いつも音楽といっしょ(黒島口説(くるしまくどぅち)(八重山民謡))■

◆小さな島で生まれた、男女交互唱のノリの良い民謡(m217)◆

◎収録アルバム 失われた海への挽歌(Vol.2) 沖縄民謡全集 等

◆島の情報: 黒島 (沖縄県竹富町) - Wikipedia

 

■民謡の形式■:『黒島口説』
♪『黒島口説』は、男女交互唱

・『黒島口説』は、男女交互唱の民謡ですが「一番は男、二番は女」と言う形式ではありません。歌の前半を男、後半(はやしことば)を女が歌う形式です。尚、歌の後半を長い歌詞ですが「はやしことば」と呼ぶ記述が多いです。

・男女交互唱となった経緯は、創作舞踊(後述)の影響が強いと考えられます。創作舞踊では、前半(地謡、男)、後半(踊り手、女)と歌う場合が多く、これが、歌のみの演奏でも定着したと考えれます。もちろん、男のみ、女のみの通しで歌われる場合もあります。

嘉手苅林昌と饒辺(よへん)愛子の『黒島口説』を聞いた時には、後半の饒辺愛子の飛び込んで来るような歌に度肝を抜かれ、いたく感動しました。饒辺愛子の歌詞の最後「今(なま)の拍子に口説早みり」を受けて、嘉手苅林昌が再び歌い出します。

♪「十九の春」「二見情話」…
・ちなみに「一番は男、二番は女」と言うと「十九の春」「二見情話」などが有名ですが、共にゆったりとしたテンポで歌われ、男女の情愛あふれる歌が多いです。


■民謡の歌詞■:『黒島口説』

◆『黒島口説』の歌詞<前半:男>>
口説くどちゅし 聞ちぐとや <クドゥくどちゅし チちぐとや>
弾くや三味線 絃合わち   <ヒくやサンシン チルアわち>
口説ハヤシや 面白や    <クドゥチハヤシや ウムシルや>

・大意
口説の歌だよ 聞いてみると
三味線の伴奏 にぎやかに
歌とハヤシで 面白い


◆『黒島口説』の歌詞<後半:女>>(はやしことば)
イヤイーヤ~
豊かなる世ぬ 印さみえ   <ユタかなるユぬ シルシさみえ>
雨や十日越し 風や静かに  <アミやトゥカゴし カジやシジかに>
作る作物 満作揃てぃどぅ <チクるムジクイ マンサクショウてぃどぅ>
仲本 東筋 伊古 保里村  <ナカントゥ アリシジ イーク フリムラ>
保慶や宮里 番所宿々    <フキやミヤザトゥ バンスヤドゥヤドゥ>
花ぬ遊びや 歌や三味線   <ハナぬアシびや ウタやサンシン>
デングルデングル
面白むんさみ        <ウムシリむんさみ>
今ぬ拍子に 口説早みり <ナマぬヒョウシに クドゥチハヤみり>
サーヤ ハイヤ

・大意
イヤイーヤ
豊饒の世の 印ですよ
雨は十日毎に降り 風は静かで
作物は すべて豊作万作
仲本 東筋 伊古 保里村 
保慶や宮里、番所や宿々では
花遊びや 歌や三味線を
ティントゥティントゥと
楽しくやっている  
この楽しい囃子で 歌おうじゃないか  
サーヤ ハイヤ

♪『黒島口説』は「土地賛歌」
・『黒島口説』は、黒島の風土や生活、年中行事をユーモラスに歌い上げる「土地賛歌」です。島の人々の明るさ、たくましさと共に、島の五穀豊穣を願う歌詞となっています。

♪元歌は奉納舞踊
・「島うた紀行(仲宗根幸市著)」によると、黒島で御嶽(うたき)での奉納舞踊の際に昔から歌われていた元歌を、黒島の目差主(みざししゅ)の宮良孫賢が、現在の良く知られる歌詞にまとめたとの記述があります。

・こんな小さな島で「黒島口説」は生まれました。

■民謡の踊り■:『黒島口説』
♪『黒島口説』その人気の高さ
・『黒島口説』は、その人気の高さから八重山だけでなく、琉球芸能全体に受け入れられ、様々なアレンジで現代に受け継がれています。

♪『黒島口説』の創作舞踊
・御嶽での奉納舞踊の踊り方はシンプルだった考えられますが、現在踊られる『黒島口説』の踊りは諸見里秀思と玉代勢秀喜の創作舞踊が元祖と言われています。

・踊り手は「ムイチャー(丈の短い作業着)」を着て、頭に「ティサージ(手ぬぐい)」を巻き、裸足で活発に踊ります。また「地謡」の歌(前半)に続いて、踊り手自身が「はやしことば」(後半)を歌いながら踊り、舞台を盛り上げます。


■ハート型の島■:『黒島口説』
♪「ハートアイランド」黒島
・黒島は、石垣島から南南西17キロメートルにあり、周囲12キロ、面積10キロ平方、人口は200人弱の島(2021年現在)です。島の形がハート型であることから「ハートアイランド」とも呼ばれています。

♪黒島を飛び出し、琉球芸能の人気舞踊に
・現代でも歌い踊られる『黒島口説』は、こんな小さな島で生まれました。先の「黒島の風土や生活、年中行事をユーモラスに歌い上げる土地賛歌」というローカルな内容の歌ですが、その素晴らしさは島を飛び出し、八重山にもとどまらず、琉球芸能全体に受け入れられ、今では人気舞踊に成長しました。

・良い音楽はその出自を問わず、人々の口から口へ歌い継がれて、成長し、広まってゆきます。この『黒島口説』も元歌の「奉納舞踊」から「創作舞踊」と成長すると共に琉球芸能の人気演目となった一例です。


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・黒島口説(くるしまくどぅち)(5分16秒)
・黒島生まれの民謡が大ヒット、今や沖縄中で歌われています。
・曲:八重山の民謡 歌:舞踏集団 花やから

■いつも音楽といっしょ(与那国ぬ猫小(マヤーグヮ)(八重山民謡))■

◆「役人の横暴と小悪魔のような妾」を皮肉った民謡(m216)◆


◎収録アルバム 沖縄民謡全集 等

◆島の情報: 与那国島 - Wikipedia


■民話■:『与那国ぬ猫小(マヤーグヮ)』
♪猫小(マヤーグヮ)は、猫ちゃん
・猫を沖縄方言で、猫(マヤー)又は猫小(マヤーグヮ)と呼びます。後ろについた「小(グヮ)は、「小さい」「愛らしい」「可愛い」などの意味です。

与那国島の加仁が助けた猫ちゃん
琉球王朝時代、与那国島に大川加仁という農夫がいました。ある日のこと、 ウブンドゥ山で仕事をしていると、けたたましい猫の鳴き声が聞こえてきました。

・駆けつけてみると、ヤシガニが小猫を穴の中に引きずり込もうとしていたので、加仁は小猫を助け出しました。その後、小猫は加仁になついて、いっしょに暮らすようになりました。

与那国島のネズミ捕り上手な猫ちゃん
・大きくなった猫は「ネズミを騙して捕る」という人間並みのテクニックを持った、ネズミ捕り上手な猫に成長しました。

・その頃、首里王府の蔵ではネズミが大発生し、米俵が食い荒らされて非常に困っていました。そこで「ネズミ退治が上手な猫を徴用する、優秀な猫を献上した者には親雲上(ぺーちん)の位階を与える」と全島に布令しました。

与那国島から選ばれた加仁の猫は「ネズミを騙して捕る」テクニックを駆使して、みごとに蔵のネズミを一匹残らず退治しました。この功績によって、加仁は国王から親雲上の位階を賜りました。帰途の船中で、加仁がうれしさのあまり歌ったのがこの歌だと伝えられています。 


◆『与那国ぬ猫小』の歌詞<1:一番>>
与那国ぬ猫小 鼠だましぬ <ユナグニぬマヤグワ ウヤンチュだましぬ>
やから ハリ
ニ才だましぬやから <ニサイだますむやから>
聞きわりよう 主の前はり <シくわりよう シュのマイはり>
ヨーヌ ヨーシュヌマイハリ
シターリヨーンゾ
ヤイヤハーヤ

・大意
与那国の猫は 鼠をだますのが
上手な奴だ ハリ
若者をだますのが上手な奴だ
聞いてくださいよ (崎浜の)お役人様
ヨーヌ ヨーシュヌマイハリ
シターリヨーンゾ
ヤイヤハーヤ


■民謡■:『与那国ぬ猫小』
♪加仁の元歌はどこへ?
・現在一般的に歌われている『与那国ぬ猫小』は、上記の民話を題材に歌われてはいません。「与那国の猫は 鼠をだますのが上手な奴だ」から始まりますが、その後は琉球王朝時代の役人をからかう歌詞となっています。加仁の元歌はどこへ行ってしまったのでしょうか?

・<五番>お月様の欲しいものはウサギだけ 波座真の役人の欲しいものは娘だけ
当時、島に赴任した役人には賄女制度(いわゆる妾)がありました。歌詞では、役人とその妾の横暴を猫にたとえて歌っています。

・<六番>八折屏風の中に花染め手ぬぐいをわざと落として 取るふりをしては娘を品定めしている
与那国島のなんた浜に、役人が到着すると、浜には島の娘たちが並びます。娘たちはわざと履物を脱いで自分の前へ置きます、役人は一人一人品定めをして、気に入った娘に履物を履かせました。それが、妾となる娘の選別儀式でした。


◆『与那国ぬ猫小』の歌詞<2:三番>
底ぬ家ぬ 犬小 <スクぬヤーぬ イングゥ>
中ぬ家ぬ 猫小とぅ <ナカぬヤーぬ マヤグワとぅ>
とぅきざん橋 行ちょうてぃ <きーざんばし イちょうてぃ>
ミャウいぇぃば
ガゥてぃばしはり
ヨーヌ ヨーシュヌマイハリ
シターリヨーンゾ
ヤイヤハーヤ

・大意
底の家の 犬と
中の家の 猫が 
石橋で 出会って
(猫が)ミャウと言えば
(犬が)ガゥと言う
ヨーヌ ヨーシュヌマイハリ
シターリヨーンゾ
ヤイヤハーヤ

・「犬とぅ猫」ではなく「シーサーとぅ猫」となっています。

■犬と猫■:『与那国ぬ猫小』
♪犬(イン)は、犬
・犬を沖縄方言で、犬(イン)又は犬小(イングヮ)と呼びます。また「犬猿の仲」を、沖縄には猿がいない為「犬とぅ猫(インとぅマヤー)」といいます。

・上記の<三番>は「犬とぅ猫」の喧嘩の様子を鳴き声で表していますが、これは下記の<二番>の歌詞を音表現に変えたとも考えられます。仲の悪い役人同士の喧嘩の音表現です。

・<二番>西からは大見役人 東からは八重山役人 その真中から醜いものが飛んで出て 驚いてしまったとさ
「醜いもの」が何かはわかりませんが、良からぬもの(喧嘩の種)かもしれません。


■役人の横暴と小悪魔のような妾■:『与那国ぬ猫小』
♪役人の横暴と小悪魔のような妾
・島に赴任した役人の中には「水を得た魚」の様に、島の人々の生活を顧みず、横暴を働いた者もいたそうです。

・役人に選ばれた妾も、役人の権力をかさに着て、小悪魔的な悪い事をした者もいたそうです。

・『与那国ぬ猫小』は、民話をヒントに作られましたが「役人の横暴と小悪魔のような妾」を、面白可笑しく皮肉り、島の人々のうっぷん晴らす、軽快で楽しい民謡となりました。


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・与那国ぬマヤー小(ゆなぐにぬマヤーぐわ)(4分35秒)
・マヤー小(猫)の歌ではなく、与那国に来た役人を風刺した歌です。
・作詞:伊良波尹吉 作曲:伊良波尹吉 歌:大工哲弘 × やいまぬむじか