◆黄金白金くだくる波の『なんた浜』から八重の潮路に船を出す(m167)◆
◎収録アルバム: 琉球ナーフィングルーヴ 等
♪『なんた浜』の歌詞<1>
波の花咲き 船足軽く
片帆ちらちら 月影のせて
黄金白金 くだくる波に
ゆらるる夢は あのなんた浜
あのなんた浜 イヤホあのなんた浜
♪与那国島の『なんた浜』
・与那国島は、日本の最西端に位置する、東西に細長い島です。島の東は、久部良(くぶら)、西は、祖内(そない)の集落です。
・祖内集落の目の前に広がる浜辺が『なんた浜』です。浜辺は、底の砂模様が遠浅の彼方まで見える程、透きとおっています。
♪作詞の宮良高夫は、石垣島生まれのジャーナリスト
・「黄金白金くだくる波の『なんた浜』から八重の潮路に船を出す。」『なんた浜』の格調のある歌詞は、石垣島生まれのジャーナリスト宮良高夫の作です。
・『なんた浜』から見た宮良高夫の視線の先には、「ニライカナイ」への海道が見えていたのかもしれません。それは、尽きせぬふるさとへの思いとも重なり、広々と澄んいます。
・「ニライカナイ」とは、沖縄や奄美群島などに伝わる、海のかなたにある理想郷の事です。五穀豊穣の恵みを授けてくれるとともに、命の生まれる所、死後に行く所などと考えられています。
♪『なんた浜』の歌詞<2>
夜明けほのぼの 空晴れ渡り
八重の潮路を 乗り切りゆけば
なんた白浜 アダンの影に
笑いこぼれて 船まつ人よ
船まつ人よ イヤホ船まつ人よ
♪作曲の宮良長包は、音楽教育に情熱を注ぐ音楽教師
・宮良長包は、石垣島出身の作曲家であり、音楽教師でもありました。戦時中の学校には軍人がいて、軍国主義の徹底を見張っていました。
・宮良の音楽教育に対する理想は高く、その情熱はとても強く、音楽教育を軽視する軍人とは、喧嘩も辞さない姿勢を貫いたそうです。
♪琉球王朝時代の『なんた浜』での儀式
・琉球王朝の頃、沖縄本島から『なんた浜』に役人が着くと、浜に娘が並びました。娘の前には、娘のゾウリが、役人が履ける向きに並べてあります。
・役人は、娘を一人ずつ見てゆき、好みに合った娘のゾウリを履きます。これが、役人の朝夕の世話をつとめる娘を決める『なんた浜』での儀式でした。
・なんた浜(7分09秒)
・打ち寄せる波のようなギターの伴奏、当山さんの素直な声が心地良いです。
・作詞:宮良高夫 作曲:宮良長包 歌:当山達子