いつも音楽といっしょ

音楽といっしょに成長した自分を振り返ります。

■いつも音楽といっしょ(男はつらいよ(渥美清))■

◆旧き良き昭和を思いださせるテーマソングの作曲は山本直純(m141)◆

◎収録アルバム:「渥美清全曲集」 等


♪『男はつらいよ』の歌詞
俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかおまえの よろこぶような
偉い兄貴に なりたくて

奮斗努力の 甲斐も無く 今日も涙の
今日も涙の 日が落ちる 日が落ちる


♪楽しみだった正月映画『男はつらいよ
・1作目『男はつらいよ』から、48作目「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の26年間、正月映画の花として楽しみだった『男はつらいよ』。日本人の心の故郷のような、ほのぼのと心温まる映画でした。
・『男はつらいよ』の最後は、水戸黄門の印籠の様に、「寅さんの失恋」と「旅に出る寅さん」でした。トランク一つで旅に出る寅さんの顔のアップを思い出しながら、ホクホクした心持ちで映画館を後にしていました。
・イントロを聞いただけで、旧き良き昭和を思いださせるテーマソングの作曲は山本直純です。シンプルで明快なメロディーは、映画と共に人々の心に強く残る傑作でした。

 

♪俳優「渥美清
・『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、国民的人気を博した昭和の名優。昭和3年生まれ、東京都出身。本名は田所 康雄(たどころ やすお)。
・寅次郎のスタイル: 昭和17年の東京大空襲で自宅が被災し焼け出される。一時期、担ぎ屋やテキ屋の手伝いした経験が、寅次郎のスタイルを産むきっかけと言われています。
・役者を目指すきっかけ: 補導された時、刑事に言われた「お前の顔は個性が強すぎて、一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより役者になれ」が、きっかけと言われています。
・「渥美清 = 寅さん」のイメージを壊さない為: 亡くなるまでプライベートを芸能活動の仕事に持ち込みませんでした。山田洋次監督でさえ、渥美清の自宅住所も連絡先も知らなかったそうです。

 

♪映画監督「山田洋次
・日本の映画監督、脚本家、演出家。『男はつらいよ』シリーズ(48作)の生みの親。昭和6年生まれ、大阪府豊中市出身。東京大学法学部卒業。
・テレビドラマ『男はつらいよ』: 昭和48年、フジテレビの連続テレビドラマ『男はつらいよ』の原案・脚本を担当。最終回で「寅さんがハブに噛まれての凄惨な死」で寅さんを殺してしまった為、ファンから大量の苦情が来ました。
・映画『男はつらいよ』シリーズ: テレビドラマの映画化なら一定の観客が見込めると、映画『男はつらいよ』シリーズを制作。3~4作で終了を想定していましたが、ファンから圧倒的な支持を得て、渥美清が亡くなるまで48作が制作されました。

◆主な映画作品
男はつらいよ』シリーズ
幸福の黄色いハンカチ
「遙かなる山の呼び声」
釣りバカ日誌」シリーズ
たそがれ清兵衛
「武士の一分」 など多数

 

♪作曲家「山本直純
・日本の作曲家、指揮者。映画『男はつらいよ』シリーズでは、テーマソング・映画内の音楽を一貫して担当。昭和7年生まれ、東京都出身。東京芸術大学卒業。
・早期音楽英才教育: 幼児期から、指揮者の父、山本直忠によって徹底した早期音楽英才教育を施されました。齋藤秀雄指揮教室の同門に小澤征爾がおり、山本から「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。お前は世界の頂点を目指せ」と告げられたそうです、
・口ひげと黒縁メガネがトレードマーク: その自由奔放なキャラクターから、タレントとしての一面も備えており、昭和48年から10年間放送されたTBSのテレビ番組「オーケストラがやって来た」の企画・音楽監督・総合司会者として、クラシック初心者でも楽しんでもらえるように、ユーモアを交えた解説で番組を盛り上げました。
・人々の心に強く残るメロディー: 山本直純の音楽は、クラシックで培ったの技術力の高さに裏打ちされており、シンプルですが人々の心に強く残るで明快なメロディー作りを得意としました。

◆主な音楽作品
男はつらいよ』シリーズ
ハレンチ学園
8時だョ!全員集合
3時のあなた
一年生になったら
歌えバンバン など多数

渥美清が演じる「フーテンの寅さん」は、はまり役でした。


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男はつらいよ(3分20秒)
・イントロを聞いただけで、昭和の懐かしい風景が浮かんでくる山本直純の傑作です。
・作詞:星野哲郎 作曲:山本直純 歌:渥美清