いつも音楽といっしょ

音楽といっしょに成長した自分を振り返ります。

■いつも音楽といっしょ(旧友(サイモンとガーファンクル))■

◆70歳を目の前にしたサイモンとガーファンクルがモデル?(m145)◆

◎収録アルバム:「ブックエンド」 


♪『旧友』の歌詞<1>
二人は旧友 
冬枯れの公園のベンチに座る
二人はまるでブックエンドのようだ
風に飛ばされた新聞紙が 芝生の上を舞い
彼らの靴のつま先にひっかかる

 

♪『旧友』を収録したはアルバム名は「ブックエンド」
本の両側に置く本立てを「ブックエンド」と呼びます。ここでの「ブックエンド」は、アルバム名でもあり、歌詞でもあります。アルバム6曲目「旧友」の「公園のベンチに座る二人の老人の姿が「ブックエンド」のようだ」と歌われています。

 

♪『旧友』の歌詞<2>
ベンチを分け合い 静かに座る
こんな風に 時が過ぎ
七十になるかとを思うと
とても妙な気分になるよ
 
二人は旧友
二人で過ごした想い出が心を洗い
これからの不安を静かに分かち合う

 

♪この二人の老人は、70歳を目の前にしたサイモンとガーファンクルがモデルだったかもしれません。『旧友』を制作した27歳の時に想像した70歳を迎えた時、二人はどんな感慨を持ったのでしょうか。(二人は1941年生まれなので、現在80歳です。)

 

♪私の『旧友』になって欲しかった二人の親友の死
・Tの部屋でサイモンとガーファンクルを聞いています。Tが名曲「ボクサー」を歌っていますが、聞いた事のない歌詞です。Tが得意げに歌っていた歌詞は、ライブで歌われた替え歌の歌詞でした。Tはすい臓ガンで53歳で亡くなりました。

 

・放課後の高校の空き教室、私がギターを弾いてRといっしょに「ボクサー」を歌っています。所々、歌詞が抜けましたが最後まで歌いきりました。「ライラ ライ…」の所は、特に勢いが良かったです。Rは山で滑り落ち18歳で亡くなりました。

 

・TもRもいっしょにいるとても楽しく、話はいつまでも尽きませんでした。この歳になっても「アイツが生きていくれたらな~」と思うと、無性に悲しくなり、涙目になってしまいます。

 

・小学校からの知り合いの二人はまさに「旧友」ですね。


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・旧友(4分15秒)
・二人は旧友 二人で過ごした想い出が心を洗う
・作詞・作曲:ポール・サイモン 歌:S&G

■いつも音楽といっしょ(アメリカ(サイモンとガーファンクル))■

◆「本当のアメリカ」探しの旅に出る若者(m144)◆

◎収録アルバム:「ブックエンド」 


♪『アメリカ』の歌詞<1>
二人 愛し合い 未来を一つにしよう
大丈夫さ 必要な物はこのバッグの中にある
それから タバコ1ケースと
ワーグナーさんのパイも買って
さぁ!出発だ アメリカを見つける旅へ


♪アルバム「ブックエンド」は「歌で人生をなぞる」コンセプト・アルバム◆
・コンセプト・アルバムとは、ある一定のテーマまたは物語に沿った楽曲によって構成されたアルバムの事です。3曲目の『アメリカ』は「本当のアメリカ」探しの旅に出る若者の歌です。

・「ブックエンド」の曲目(A面)
1. ブックエンドのテーマ : テーマ曲(歌なし)
2.わが子の命を救いたまえ: 自殺する少年を助けようとする母
3.アメリカ: 「本当のアメリカ」探しの旅に出る若者
4,オーバース: 離婚する夫婦
5.老人の会話: 老人ホームで録音した老人の会話
6.旧友: 公園にたたずむ年老いた友人達
7.ブックエンドのテーマ: テーマ曲(歌あり)

 

♪「本当のアメリカ」探しの旅に出る若者◆
・1960年半ばのアメリカは「人種差別デモ」「ベトナム反戦デモ」などが頻発し、騒然とした状況にありました。そして、アメリカの人々は、国の在り方そのものにも疑問を抱く様になっていました。

 

・「自由の国アメリカ」「人種のるつぼアメリカ」が「病めるアメリカ」にもなろうとする中で「本当のアメリカ」を探しに旅に出る若い二人、ポールとキャシー。キャシーは、イギリスで出会ったポール・サイモンのガールフレンドで、この歌は実際に二人がアメリカ大陸を旅した時に書かれたとも言われています。

 

♪『アメリカ』の歌詞<2>
キャシー 僕は自信を失ってしまったよ
僕は この苦しさと虚しさに もう耐えられないんだ 


♪『アメリカ』を始めて聞いたのは中学の時◆
・中学の時、始めて『アメリカ』を聞いた時の衝撃は何だったのでしょうか?
私はそれまで「アメリカン・ドリーム」で代表される、いわゆるカッコいいアメリカしか知りませんでした。歌詞には「人種差別」も「ベトナム反戦」も出てこず「みんなアメリカを探しに出てきたんだ」という歌詞が繰り返されます。今考えると、あの時の衝撃は「楽曲の素晴らしさ」だけでなく「病めるアメリカ」を強烈に憂うポール・サイモンの魂に心揺さぶられたからだと考えられます。

アメリカが入っているアルバム「ブックエンド」のジャケットです。


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アメリカ(3分30秒)
・「病めるアメリカ」を強烈に憂うポール・サイモンの魂に心揺さぶらます
・作詞・作曲:ポール・サイモン 歌:S&G

■いつも音楽といっしょ(ジェラシー(井上陽水))■

◆「愛の言葉は愛の裏側」のパラドックス(逆説)(m143)◆

◎収録アルバム:「あやしい夜をまって」 等 


♪『ジェラシー』の歌詞
ジェラシー 愛の言葉は愛の裏側 ジェラシー

君によせる愛はジェラシー
春風吹き 秋風吹き さみしいと言いながら
君によせる愛はジェラシー ジェラシー


♪『ジェラシー』「愛の言葉は愛の裏側」のパラドックス(逆説)◆
恋人の言葉や態度の端々に「本当に私を愛しているのか?」とフッと疑問が湧く時。同時に「私はこんなに愛しているに!」と「愛憎」も生れます。その「愛憎」を「ジェラシー(嫉妬心)」として、この歌は扱っているのではないでしょうか?

 

♪『ジェラシー』「どうやら僕等は海に来ているらしい」◆
「はまゆりが咲いている」→「海に来ているらしい」。「ハンドバック」→「化粧が散らばる」。「波がそれを」→「海の底へ引き込む」。目に浮かぶ透明感のある海の情景は、2番の歌詞です。

 

井上陽水の凄さ<フォーライフ時代>◆
吉田拓郎小室等井上陽水泉谷しげるが、1975年が設立したフォーライフ・レコード。現役ミュージシャンがレコード会社を設立するという事で、J-POP史に残る大事件となりました。当初、吉田と小室の二人で設立構想を練っていましたが、吉田が望んだ事により、井上も設立メンバーとなりました。本格デビューの一番遅かった井上ですが、「氷の世界」のミリオンセラーなどの実績が、吉田に評価されたと考えられます。

 

井上陽水の凄さ<第2次ブームとその後>◆
1976年フォーライフからリリースした『招待状のないショー』は、9週連続1位を獲得する一方、1977年、大麻所持容疑で逮捕されました。その際「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供しています。その後、自身の「いっそセレナーデ」だけでなく、安全地帯に「恋の予感」、中森明菜に「飾りじゃないのよ涙は」、PUFFYに「アジアの純真」などを提供し、ヒットさせています。まさに天才・井上陽水の凄さ・息の長さには驚かされます。

◎第2次ブームの名作(自身の曲)
・なぜか上海
・ジェラシー
・とまどうペリカン
カナリア
・リバーサイドホテル 
・いっそセレナーデ 等

・「氷の世界」以来、2作目のミリオンセラー「9.5カラット」のジャケットです。


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・ジェラシー(4分17秒)
・目に浮かぶ透明感のある海の情景は、2番の歌詞です。
・作詞・作曲::井上陽水 歌:井上陽水

■いつも音楽といっしょ(夏まつり(井上陽水))■

◆「戻りたい、戻れない」懐かしい故郷への強い憧憬(m142)◆

◎収録アルバム:「センチメンタル」 


♪『夏まつり』の歌詞
十年はひと昔 暑い夏
おまつりはふた昔 セミの声
思わずよみがえる 夏の日が
ああ今日はおまつり 空もあざやか


♪『夏まつり』の色褪せない魅力
場所や形は違っても、日本人なら子供の頃『夏まつり』に行った経験があると思います。夏の夕暮れ「道には並ぶ店」「オモチャ売り」「綿菓子をほうばる」情景。「自転車のうしろには 妹が」「友達もみんな居る 笑い声」の人恋しさ。この曲の色褪せない魅力は「子供の頃の幸せな時間」を『夏まつり』の憧憬を通して、再体験させてくれる事ではないでしょうか。

 

♪『夏まつり』の生まれた背景は?
陽水は、家業を継いで歯科医になる為、歯科大学を3回受験し、3回失敗しています。受験失敗の理由として陽水は「ビートルズなどの音楽にめり込んだ為」と語っています。また、後のライブアルバム「陽水ライブもどり道」のMCで、歌を歌う自分を「ヤクザな稼業」と呼び、涙ぐんでいます。浪人など東京での苦しい生活の中「戻りたい、戻れない」懐かしい故郷への強い憧憬として『夏まつり』は、生まれたのではないでしょうか。

 

井上陽水の凄さ<アルバム「氷の世界」>
日本中に井上陽水の名を知らしめたのは、ミリオン・セラー・アルバム「氷の世界」でした。アルバム頭の「あかずの踏切り」~「はじまり」~「帰れない二人」のメドレーは、天才・井上陽水とアレンジャー・星勝(ほしかつ)のパワー炸裂、日本のニューミュージックの新しい扉を開いた時でした。私も「はじまり」が転調して終わった後「帰れない二人」のイントロを聞いた時に痺れてしまった事を思い出します。

 

井上陽水の凄さ<第1次ブーム>
下記のアルバム等が制作された井上陽水のポリドール時代は<第1次ブーム>と呼ばれます。どのアルバムも名曲揃いで、天才・井上陽水の実力がいかんなく発揮されています。

◎「断絶」(1stアルバム)
・あこがれ
・断絶
・人生が二度あれば
・限りない欲望
・傘がない 等

◎「センチメンタル」(2ndアルバム)
・つめたい部屋の世界地図
・あどけない君のしぐさ
・東へ西へ
・夏まつり
・帰郷(危篤電報を受け取って) 等

◎「氷の世界」(3rdアルバム)
・あかずの踏切り
・帰れない二人
・氷の世界
・白い一日
・心もよう 等

井上陽水のライブアルバム「陽水ライブもどり道」のジャケットです。


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・夏まつり(4分52秒)
・日本人の夏まつりへの憧憬を見事に歌い上げています。
・作詞・作曲::井上陽水 歌:井上陽水

■いつも音楽といっしょ(男はつらいよ(渥美清))■

◆旧き良き昭和を思いださせるテーマソングの作曲は山本直純(m141)◆

◎収録アルバム:「渥美清全曲集」 等


♪『男はつらいよ』の歌詞
俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかおまえの よろこぶような
偉い兄貴に なりたくて

奮斗努力の 甲斐も無く 今日も涙の
今日も涙の 日が落ちる 日が落ちる


♪楽しみだった正月映画『男はつらいよ
・1作目『男はつらいよ』から、48作目「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の26年間、正月映画の花として楽しみだった『男はつらいよ』。日本人の心の故郷のような、ほのぼのと心温まる映画でした。
・『男はつらいよ』の最後は、水戸黄門の印籠の様に、「寅さんの失恋」と「旅に出る寅さん」でした。トランク一つで旅に出る寅さんの顔のアップを思い出しながら、ホクホクした心持ちで映画館を後にしていました。
・イントロを聞いただけで、旧き良き昭和を思いださせるテーマソングの作曲は山本直純です。シンプルで明快なメロディーは、映画と共に人々の心に強く残る傑作でした。

 

♪俳優「渥美清
・『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、国民的人気を博した昭和の名優。昭和3年生まれ、東京都出身。本名は田所 康雄(たどころ やすお)。
・寅次郎のスタイル: 昭和17年の東京大空襲で自宅が被災し焼け出される。一時期、担ぎ屋やテキ屋の手伝いした経験が、寅次郎のスタイルを産むきっかけと言われています。
・役者を目指すきっかけ: 補導された時、刑事に言われた「お前の顔は個性が強すぎて、一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより役者になれ」が、きっかけと言われています。
・「渥美清 = 寅さん」のイメージを壊さない為: 亡くなるまでプライベートを芸能活動の仕事に持ち込みませんでした。山田洋次監督でさえ、渥美清の自宅住所も連絡先も知らなかったそうです。

 

♪映画監督「山田洋次
・日本の映画監督、脚本家、演出家。『男はつらいよ』シリーズ(48作)の生みの親。昭和6年生まれ、大阪府豊中市出身。東京大学法学部卒業。
・テレビドラマ『男はつらいよ』: 昭和48年、フジテレビの連続テレビドラマ『男はつらいよ』の原案・脚本を担当。最終回で「寅さんがハブに噛まれての凄惨な死」で寅さんを殺してしまった為、ファンから大量の苦情が来ました。
・映画『男はつらいよ』シリーズ: テレビドラマの映画化なら一定の観客が見込めると、映画『男はつらいよ』シリーズを制作。3~4作で終了を想定していましたが、ファンから圧倒的な支持を得て、渥美清が亡くなるまで48作が制作されました。

◆主な映画作品
男はつらいよ』シリーズ
幸福の黄色いハンカチ
「遙かなる山の呼び声」
釣りバカ日誌」シリーズ
たそがれ清兵衛
「武士の一分」 など多数

 

♪作曲家「山本直純
・日本の作曲家、指揮者。映画『男はつらいよ』シリーズでは、テーマソング・映画内の音楽を一貫して担当。昭和7年生まれ、東京都出身。東京芸術大学卒業。
・早期音楽英才教育: 幼児期から、指揮者の父、山本直忠によって徹底した早期音楽英才教育を施されました。齋藤秀雄指揮教室の同門に小澤征爾がおり、山本から「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。お前は世界の頂点を目指せ」と告げられたそうです、
・口ひげと黒縁メガネがトレードマーク: その自由奔放なキャラクターから、タレントとしての一面も備えており、昭和48年から10年間放送されたTBSのテレビ番組「オーケストラがやって来た」の企画・音楽監督・総合司会者として、クラシック初心者でも楽しんでもらえるように、ユーモアを交えた解説で番組を盛り上げました。
・人々の心に強く残るメロディー: 山本直純の音楽は、クラシックで培ったの技術力の高さに裏打ちされており、シンプルですが人々の心に強く残るで明快なメロディー作りを得意としました。

◆主な音楽作品
男はつらいよ』シリーズ
ハレンチ学園
8時だョ!全員集合
3時のあなた
一年生になったら
歌えバンバン など多数

渥美清が演じる「フーテンの寅さん」は、はまり役でした。


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男はつらいよ(3分20秒)
・イントロを聞いただけで、昭和の懐かしい風景が浮かんでくる山本直純の傑作です。
・作詞:星野哲郎 作曲:山本直純 歌:渥美清

■いつも音楽といっしょ(夜霧よ今夜もありがとう(石原裕次郎))■

石原裕次郎の生き様とカッコ良さは、永遠のものですね(m140)◆

◎収録アルバム:「石原裕次郎ベストヒット」 等

 

♪『夜霧よ今夜もありがとう』の歌詞
しのび会う恋を つつむ夜霧よ
知っているのか ふたりの仲を
晴れて会える その日まで
かくしておくれ 夜霧 夜霧
僕等はいつも そっと云うのさ
夜霧よ今夜も有難う 


♪映画・テレビ・歌手として大活躍した昭和の大スター
映画「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」などの日活黄金期、テレビ「太陽にほえろ!」「西部警察」での大活躍。22歳の映画デビューから52歳までの30年間、俳優、歌手、石原プロ経営などマルチタレントとして第一線で活躍した昭和の大スター石原裕次郎。ファンにとって、その生き様とカッコ良さは、永遠のものだと思います。

 

♪「僕はまだ若くて単純かもしれないけどね。自分で納得のいかないことはしたくないよ」(裕ちゃんの言葉1)
大学時代、俳優を目指した裕ちゃんですが、東宝大映・日活のオーディションは、全て不合格でした。映画「狂った果実」は、原作が実兄・石原慎太郎という事もありますが、主役に抜擢され、その後「嵐を呼ぶ男」などのヒットにより、日活黄金期を築きました。「自分で納得のいかないことはしたくないよ」は、端役でも欲しい駆け出しの俳優にしては、気骨ある言葉・決意であると、凡人の私は感心してしまいます。

◆裕ちゃんの映画・テレビ作品
太陽の季節
狂った果実
嵐を呼ぶ男
黒部の太陽
太陽にほえろ!
西部警察 など多数

 

♪「人の悪口は絶対口にするな。人にしてあげたことは、すぐ忘れろ。人にしてもらったことは、絶対忘れるな」(裕ちゃんの言葉2)
裕ちゃんは、困っていることがあると自ら率先して動くタイプの人間だったそうです。日本の災害地での「石原プロの炊き出し」も、裕ちゃんの人間性を表した一つだと思います。「人の悪口は絶対口にするな~」の言葉。この言葉を自戒として、弱肉強食の芸能界を生き抜く事は、かなりのストレスであり「体を蝕む程の深酒」につながったのではないかと思われます。

◆裕ちゃんの歌
・銀座の恋の物語
・夜霧よ今夜も有難う
嵐を呼ぶ男
・ブランデーグラス など多数

 

♪「星のフラメンコ」『夜霧よ今夜もありがとう』「人生いろいろ」のハマクラ
この歌の作曲の浜口庫之助は、兵庫県神戸市出身のシンガーソングライター。愛称はハマクラです。歌謡曲の作曲家でシンガーソングライターとはこれいかに?ハマクラは、西郷輝彦の「星のフラメンコ」『夜霧よ今夜もありがとう』などでは作詞も手掛け、大ヒットさせています。作曲だけでない、作詞もプロだった為、シンガーソングライターと呼ばれるようです。島倉千代子の「人生いろいろ」、作詞は中山大三郎ですが、この曲も大ヒットさせています。個性が強いハマクラの作る歌は、鮮明な印象が残るので、大ヒットにつながったと言われています。

・いつ見ても、石原裕次郎はカッコイーですね。


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・夜霧よ今夜もありがとう(3分34秒)
・優しさあふれる裕次郎節は、聞き心地満点ですネ。
・作詞・作曲:浜口庫之助 歌:石原裕次郎

■いつも音楽といっしょ(丘をこえて(藤山一郎))■

◆昭和の歌手の「歌にたいする真摯な思い」(m139)◆

◎収録アルバム:「藤山一郎全集」等  


♪『丘をこえて』の歌詞
丘を越えて 行こうよ
真澄の空は 朗らかに晴れて
楽しい心 鳴るは胸の血潮よ
讃えよ わが青春(はる)を
いざゆけ 遥か希望の 丘を越えて


藤山一郎さんが歌う『丘をこえて』
聞いても、歌っても楽しくなる『丘をこえて』。「ナツメロ特集」で、藤山一郎さんが体いっぱいに歌いきるの姿はとても素敵です。私はそこに昭和の歌手の「歌にたいする真摯な思い」を感じます。

 

♪「歌にたいする真摯な思い」とは?
それは「歌への思い入れの純度」の違いかと思います。現代の歌手の純度が低いという意味ではなく、質の違いであり、極端に言うと「歌に命がけ」の度合いの違いかもしれません。

 

美空ひばりの「酒は涙か溜息か」
「酒は涙か溜息か」を歌う美空ひばりは、必ず泣きました。「昭和の歌姫」と言われながら、実生活では不幸な結婚等、決して恵まれなかった女性。日本人は、彼女の「歌に命がけ」の姿に「演出効果」などと勘ぐらずに、もらい泣きをしました。

 

♪楽しかったハイキングの思い出
作曲の古賀政男は、福岡県柳川市(やながわし)の出身です。この歌は、明治大学在学中にマンドリンクラブの仲間と行ったハイキングから生まれました。その夜、楽しかったハイキングの思い出と、もう学生時代も終わるという感傷の中、湧き出たメロディーが『丘をこえて』でした。何と曲が先で、歌詞は後からだったんですネ。

 

・爽やかな笑顔も魅力の藤山一郎です。


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・丘をこえて(2分15秒)
・「丘のむこうには希望が待っている」と勇気づけられる歌です。
・作詞:島田芳文 作曲:古賀政男 歌:藤山一郎