いつも音楽といっしょ

音楽といっしょに成長した自分を振り返ります。

◆いつも音楽といっしょ<されど されど 人生は>(m097)

■2年間の闘病と在宅ワーク(社会人編 8 of 12)

 

♪「ひどい不整脈」でダウン!

・会社の定期健康診断で「ひどい不整脈」(人の何倍もの不整脈数)と、診断されました。実際、その頃は、休憩の度に横にならないと、一日の仕事がこなせない状況となっていました。

 

・この「ひどい不整脈」に対して「今までずーっと追われる様に仕事をしてきたツケが、遂に現れたか!」というのが、あの時の実感でありました。

 

♪自宅療養と「在宅ワーク

・母は心臓発作で亡くなり、父はペースメーカーを入れていました。心臓病は、遺伝的な要素もあったのかもしれません。「心配性でストレス体質」の私(人からは、そうは見えないかもしれませんが)。若い頃から「胸が重くなる」事があり、検査を受けますが、いつも「異常なし」という検査結果でした。

 

・今回は、狭心症の検査入院をしましたが、やはり「異常なし」という検査結果でした。「狭心症ではない事」はわかりましたが、症状はひどくなる一方なので、とうとう退職する事となってしまいました。(この後「不整脈専門の先生」に手術していただくまで、2年近い自宅療養となりました。)

 

・自宅療養でも、食っていかなければなりません。そこで考えたのが「在宅ワーク」でした。(幸い「在宅ワーク」に必要なネットワーク環境は揃っていました。)そして、挑戦した「在宅ワーク」の一つが『ユーチューバー』でした。

 

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・入選を果たした「されどされど人生は」のCDジャケットです。


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・されど されど 人生は(2分56秒)
・されど されど 人生は、ハッテでもゴールしなければ。
・作曲:南風まさひこ

◆いつも音楽といっしょ<海風・灯台・蒼い空>(m096)

■コンテスト応募(社会人編 7 of 12)

 

♪Sさんのハモリで、グレードアップした私の歌達

・Sさんのハモリを得て、グレードアップ(?)した私の歌達。私は、出来上がったCDを聞きながら「自画自賛する日々」でした。そして「この素晴らしい歌達を、たくさんの人に聞いてもらいたい」「私の音楽を世に問うてみたい」と、始めたのが「コンテスト応募」でした。

 

・「公募ガイド」や「登竜門」などから情報を集め、手当たり次第、10余りのコンテストに、応募しましたが、「一次審査も通らない」の、繰り返しでした。

 

・コンテストによっては、入賞曲を聴く事ができましたが「何でこんなつまらない曲が1位なんだろう」とひがみ、疑問に思う曲もありました。恥ずかしながら「負け犬の遠吠え」です。

 

♪落選10回経験から得た教訓

・落選10回経験から、次の2点が重要ではないかと思い始めました。
 「1.コンテストの目的(コンセプト)を、よーく理解して作る」
 「2.聞きやすい音、良い音で作る」

 

・「1.コンテストの目的(コンセプト)をよーく理解して作る」
たとえば「地方特産品のイメージソング」の場合は、特産品の十分なリサーチと主催者の求めるイメージに沿う曲作りが、重要だと思います。

 

・「2.聞きやすい音、良い音で作る」
まず「歌い込み」が、重要だと思います。これは、最終的な出来上がりを大きく左右します。次に「編曲・録音・ミキシング・トラックダウン」。録音機材や技術、上を見たらキリがありませんが、お財布が許す機材で、試行錯誤を繰り返し、自分のイメージする音に近づけてゆきます。お金を出して、プロに頼むのも一つの手だと思います。

 

♪私の才能は「昭和のアマチュア・フォークレベルだ!」

・20回余りのコンテストを通して、私の才能は「昭和のアマチュア・フォークレベルだ!」と、痛感しました。そして「入選1回」「入賞1回」という結果。「これが、私の音楽の評価なのだ」と思うと共に「ゼロでなくて良かった!」が、正直な気持ちであります。

 

・私にとって「コンテスト応募」の曲作りは、夢中になれる趣味であり、強力なストレス解消方法でもあります。懲りない私は「またチャンスがあれば応募したい!」と、ネットで「コンテスト応募」を検索するのでした。

 

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・大好きな新原(ミーバル)ビーチの写真です。パラソルの下でボンヤリしている私です。


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・海風・灯台・蒼い空(3分53秒)
・課長を説き伏せて沖縄へ戻り、沖縄一周ドライブに歓喜する歌です。
・作詞・作曲:南風まさひこ 

◆いつも音楽といっしょ<懐かしい安らぎが>(m095)

■ハモリお願い(社会人編 6 of 12)

 

♪ハモリ上手のSさんの力でパワーアップする歌達

・私の詩集『ニフェーディービル ウチナー』に曲をつけるようになったのは、アルバム「立神岩」が完成した頃からでした。メロディーに乗せる為に詩をいじっくたり試行錯誤の結果、最終的に、34の詩の内、19の詩に曲をつけました。

 

・その頃、会社にはヤマハポプコンに家族で出場、地区予選まで行ったというSさんがおりました。「Sさんは、ハモリ上手」と聞いて、私が作った曲のハモリをお願いする事にしました。尚、ポプコンとはヤマハが主催した音楽コンテスト「ポピュラーミュージックコンテスト」の略称で「赤い鳥」「オフコース」「中島みゆき」「因幡晃」などを、輩出しました。

 

・Sさんに、伴奏と私の歌が入ったCDを渡し、ハモリを考えてもらいます。アイデアが固まった時点で、録音するというパターンで、CD3枚、10曲ほどをハモリっていただきました。Sさんのハモリのお陰で、曲に厚みや暖かさを出すことができました。

 

♪「パイパティローマ(南波照間)」で行こう!

・グループ名は「パイパティローマ(南波照間)」としました。「パイパティローマ」とは、沖縄の波照間島の伝説で「島の南に存在するという楽園の名前」です。沖縄本島の「ニライカナイ伝説」の波照間島版といった所でしょうか。

 

・作ったCDは、家族や親しい友人などに配りました。今回は知り合いを通して、音楽関係のプロの方に聞いていただきましたが、残念ながら、まったく評価されないのが現状でした。

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・空から見た美しい多良間島の写真です。


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・懐かしい安らぎが(多良間島を想いながら)(3分56秒)
多良間島での安らぎの時間を、夢のように歌っています。画像の「多良間の八月踊り」は、皆納祝いと次年の豊作を祈る為に行われる、島民上げての大芸術祭です。
・作詞・作曲:南風まさひこ



 

◆いつも音楽といっしょ<跳べ!きじむなあ>(m094)

■『きじむなあ物語』BGM作成(社会人編 5 of 12) 

 

♪中村透先生からBGM作成の連絡あり!

・中村透先生から「『きじむなあ物語』のBGMをつけてみないか」という連絡をいただきました。先生は「劇のBGM作成」というチャンスを、私にくださったのでした。

 

♪船越義彰先生の『きじむなあ物語』

・『きじむなあ物語』は「山之口獏賞」を受賞した、船越義彰先生の素晴らしい作品で「きじむなあの生活」「人間に恋するきじむなあ」「沖縄戦で人間を助けようとして、傷つき死んでゆくきじむなあ」など「きじむなあファンタジー」でありながら、沖縄戦の悲しみなども含む、深い内容の作品となっていました。ちなみに「山之口獏」は沖縄出身の詩人で、その詩は、高田渡の「生活の柄 」でも使われています。

 

・『きじむなあ物語』の中で描かれている「きじむなあ」は「赤い顔」(アカジラー)、「ちびすけ」(グマーチュ)、「赤い髪」(アカガンター)、「妖怪」(ムンヌキ)という、あまりお友達にはなりたくない容姿です。

 

・沖縄民話の「きじむなあ」には、不幸をもたらす「妖怪」として語られる場合と、人間に幸せをもたらす「木の妖精」として語られる場合があります。私は「きじむなあ」は、出会った人間の態度や行いにより「妖怪」にも「木の妖精」にもなるのではないかと、思います。

 

♪間好子おばーの一人芝居で『きじむなあ物語』

・今回の『きじむなあ物語』は、間好子おばーが、ウチナーグチ(沖縄方言)で語る一人芝居でした。私は、「かなしばり」「ウタキヌ カミヤ」「泣くなよ、きじむなあ」など合わせて10曲程を、BGM用に作曲しました。エンディングの「跳べ!きじむなあ(きじむなあの歌)」は、シュガーホールの少年少女合唱団に歌っていただきました。

 

♪私の創った音がホール中に鳴り響きましたが…

・『きじむなあ物語』は、沖縄の主要な劇場で公演されました。劇場のお客さんの入りは、五割から六割程度で、興行的には芳しくなく、プロダクションの方や中村透先生を喜ばせるような結果が出せず、BGM担当としては、とても残念でした。

 

・しかしながら「劇場に私の音楽が流れる」は、生まれて初めての体験でした。私は、ホール中に鳴り響く私の音に浸りながら、心から喜び、言葉に表せない程の感動が、体を駆け巡った事を覚えています。

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・BGMを担当させていただいた「きじむなあ物語」のCDジャケットです。


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・跳べ!きじむなあ(きじむなあの歌)(2分13秒)
・「きじむなあ物語」のメイン・テーマ曲です。シュガーホール少年少女合唱団に歌っていただきました。
・作詞・作曲:南風まさひこ 

◆いつも音楽といっしょ<透きとおる沖縄>(m093)


■『透きとおる沖縄』(社会人編 4 of 12)

 

♪仲吉史子おばーが生れた壷川の海

・仲吉史子おばーが生れた戦前の那覇市壷川は、家のすぐ前が海だったそうです。子供の仲吉さんは、その海で魚や鳥と遊んだり、美しい夕焼けを見た事を、楽しそうに話してくれました。その話を聞くと、私も戦争で壊される前の沖縄へ旅をしたいと心から思ったものでした。

 

・『透きとおる沖縄』は、仲吉史子おばー作詞・作曲の歌で、子供の頃の原風景がそのまま歌い込まれていて、素直な気持ちで聞ける、とても素晴らしい曲です。この歌を聞いたり、歌ったりすると戦前の沖縄の素晴らしさが、目の前に浮かんできます。

 

♪CD制作と編曲の依頼

・仲吉史子おばーは、曲集「沖縄のわらべ唄と子守唄-平和への願いを込めて」を、歌でも聞いてもらおうと、自費でCDを制作しました。CDは、史子おばーの歌、沖縄の子供達の歌、子供達とのかけ合い、史子おばーの語りなど、聞く人を飽きさせない、素晴らしい出来上りとなりました。

 

・『透きとおる沖縄』は、このCDの最後を飾る曲で、私が編曲をさせていただきました。ピアノで二つの編曲案を弾きながら「どっちがいいですか?」と、仲吉史子おばーと相談しながら編曲をした事を、今でも思い出します。

 

・沖縄の「海」「山」「空」、仲吉おばーの思い出を込めながら、やさしい言葉で歌うこの曲には「沖縄の原風景」と「沖縄の心」があると、私は思います。私の編曲版をネットにアップしていますが、視聴回数も多く「高評価」もいただいている人気のある曲です。

 

♪本当にありがとう 史子おばあちゃん

・-イッペー ニフェーデービル 史子おばー (本当にありがとう 史子おばあちゃん) 


・-いちまでぃん ガンジュウしみそーりよーサイ 史子おばー (いつまでも 元気でいてくださいね 史子おばあちゃん) 

 

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・仲吉さんのアルバム「沖縄のわらべ唄と子守唄」のCDジャケットです。

(残念ながら、自費制作の為、レコード店等では購入できません)


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・透きとおる沖縄(歌唱版)(3分29秒)
・仲吉史子さんの名曲「透きとおる沖縄」を、プロの声楽家の素晴らしい声で歌っていただきました。
・作詞・作曲:仲吉史子

◆いつも音楽といっしょ<沖縄子供の歌・メドレー>(m092)

■『沖縄ふるさとの家』(仲吉史子おばーとの出会い)(社会人編 3 of 12)

 

♪仲吉史子おばーとの出会い

・「沖縄のわらべ唄と子守唄-平和への願いを込めて」という曲集が、仲吉史子おばーとの出会いとなりました。曲集に載っていた連絡先に電話をした所、会ってくださるとの、快いご返事に、さっそく、史子おばーのお家に伺いました。

 

・仲吉史子おばーは、大正10年那覇市壷川の生れです。師範学校の先生をしている時に結婚して、台湾へ渡りました。戦後沖縄へ戻り、終戦直後の困難な時代に子供を育て上げました。

 

・その後、再婚をして東京で「沖縄わらべうた普及会」を立ち上げ、100回開催を達成した「わらべうたコンサート」を開いたり、いろいろなサークルで、沖縄のわらべうたの紹介や歌唱指導をしてきました。また、沖縄県の委託で『沖縄ふるさとの家』も主催していました。

 

♪『沖縄ふるさとの家』と仲吉史子おばー 
・『沖縄ふるさとの家』は、隔週土曜の夕方、基本的に沖縄県出身で、本土で働いている方々が集まる場を提供する事が目的です。集まった人達は、おしゃべりをしたり、沖縄そばを食べたり、歌を歌ったりして、楽しい一時を過ごします。なかには、仲吉史子おばーに悩み事を相談する若者もありました。(残念ながら、現在『沖縄ふるさとの家』は、休止しています。)

 

・『沖縄ふるさとの家』のお手伝いは、東京で働く「私の沖縄が恋しい」と思う気持ちをほぐしてくれました。また、戦前の沖縄の「人」「自然」「音楽」の素晴らしさを、実際に生きて体験した仲吉史子おばーの口から聞けたことは「沖縄への新しい視点をいただいた」と、私は心から感謝しております。とても不思議な仲吉史子おばーとの出会いは「人生の宝」となりました。

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・仲吉さんが写っている「ニフェーデービル ウチナー」のCDジャケットです。


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・沖縄子供の歌・メドレー(5分37秒)
・沖縄のわらべ歌「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)」と「てんさぐぬ花(ほうせんかの花)」のメドレーです。
・沖縄のわらべ歌 編曲:南風まさひこ 

◆いつも音楽といっしょ<立神岩(たちがみいわ)>(m091)

■アルバム『立神岩(Standing Top of the Reef)』の制作(社会人編 2 of 12)

 

♪コンピュータを使った音楽制作を始める

・その頃(約30年前)、私は、友人の影響を受けてDTM(Desk Top Music)を始めました。DTMとは、コンピュータを使った音楽制作の事です。「楽器が弾けなくても音楽が作れる」「音楽制作の助け舟」というのが、DTMの売り文句でした。確かに、楽譜を一音ずつコンピュータに入力すれば、音が鳴ります。しかし、それは「平べったく、拡がりのない」「ただ音が鳴っている」状態です。

 

・当時「ただ音が鳴っている」状態から「聞ける音」にするには、二つの方法があります。一つ目は(手間がかかりますが)入力する音を一つずつを編集して、それらしくする方法、二つ目は(機材を購入して)「エコー」「コーラス」などのエフェクトをかける方法です。私は、二つの方法を駆使する為、機材も購入して「自分の音の探求」に血道を上げました。

 

・しかし、やってゆく内に、音そのものを良くしたいという欲が出てきて、(とても高価だった)サンプラー音源を購入してしまいました。サンプラー音源とは、実際の楽器の音を元ネタとした音源で、音色、音の艶、音の鳴り等、今まで使っていたデジタル音源とは、各段の差がありました。

 

♪一年がかりで作り上げたアルバム『立神岩』

・最初に、必要最低限の機材(約30万円)を投入して、DTMを始めました。その後、サンプラー音源購入等で、DTMに100万円近いお金を投入する事となりました。(結果、財布が相当に厳しい事態となりました。)

 

・そして、一年がかりで作り上げたアルバムが『立神岩(Standing Top of the Reef)』でした。沖縄の歌、昔作ったオリジナル曲、歌謡曲、新曲など11曲をDTMで作成、テープに録音して、家族、親戚、友人などに配りました。

 

・アルバムのタイトル『立神岩』は、与那国島にある奇岩の名前です。海にそそり立つ立神岩、その荘厳さに島の人は、この名前を付けたのだと思います。実際に与那国島で見た、荒波の中にそそり立つ立神岩の姿は、東京生活に疲れ気味の私に、勇気を与えてくれました。

 

♪副題の『Standing Top of the Reef』とは

・尚、副題の『Standing Top of the Reef』とは、内海と外海を隔てるサンゴ礁のヘサキに立つという意味です。実際にそんな所に立ったら、命の保障はありませんが、荒波の外海に 向かって「負けないぞ!」と叫ぶ、私の意気込みを現わした副題となっています。

 

・膨大な時間とお金を費やしましたが、素晴らしい出来のテープの音(自画自賛)は「完成した喜び」と共に「財布の厳しさ」を忘れさせてくれました。

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・力強い姿の「立神岩」のCDジャケットです。


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・立神岩(たちがみいわ)(ありがとう沖縄)(3分49秒)
与那国島にある奇岩・立神岩に「生き続ける勇気」をもらった事への感謝の曲です。
・作曲:南風まさひこ